「やるか、やられるか」

その「事件」とは、関係の悪化に耐えかねたTさんが、離婚の話し合いを夫に持ち掛けた時に起こった。夫は話し合いに応じるどころか、用意してあった離婚届の息子の親権者欄に夫の名前を勝手に記入し、役所に出しに行こうとした。

慌てたTさんが止めて事なきを得たが、夫への不信感は膨れ上がった。親権とは子どもの監護や教育を行ったり財産を管理したりする権利・義務のことを指し、離婚後の単独親権制度を採用している日本では、離婚後はどちらか一方の親しか子どもの親権を持つことができない。

「もし私に危害を加えられたら、もし息子が夫に連れ去られたらどうしよう」。夫の昼寝中に震える手で身の回りの物をバッグに詰め、Tさんは息子を連れて東北地方にある実家に向かった。

家を出る際、頭に浮かんだのは「これは『子どもの連れ去り』で、違法行為ではないだろうか」ということだったとTさんはいう。一方で、現行の法制度の下では相手に先に連れ去られたら子どもとなかなか会えなくなり、親権を得ることも非常に難しくなる、という「現実」も知っていた。

「やるか、やられるか」「子どもを連れ去られたら法も誰も守ってくれない」。Tさんは追い詰められていた。

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「連れ去りだ!」夫から激怒のLINE

妻と子どもが突然姿を消したのだから、夫は当然激怒する。「第三者を入れて話し合いを」とTさんはすぐにLINEを送ったが、夫からは「連れ去りだ!」と怒りのこもった返事が返ってきた。

Tさんの恐怖心はますます募る。警察にも相談し、自分に近づかないよう夫への警告も出してもらった。

離婚に向けて弁護士を雇い、まもなく裁判所で調停がスタート。だが互いの主張は全くかみ合わなかった。

Tさんが「離婚成立がまず先で、夫が少しでも言動を反省すれば息子との面会交流を考える」と言えば、夫は「そもそも子どもを連れ去ったことが問題で、元いた場所に息子を戻した上でなら考える」との堂々巡り。

膠着こうちゃく状態が半年も過ぎたころ、裁判所から夫と息子との試行面会が提示された。Tさんは反発するも、会わせないわけにはいかない。Tさんの担当弁護士の事務所で30分間、夫と息子が会うことが決まった。

「連れ去り」恐れ、護衛は5人

面会交流へのTさんの警戒ぶりは徹底していた。Tさんと彼女の母、弁護士の3人が立ち合い、すぐ隣の部屋には知人男性2人が待機。何かあればすぐに駆け付けられるようにしていた。なぜなら、夫による息子の「連れ去り」を恐れたからだ。

「夫の立場に立てば、子どもと次いつ会えるか分からない、親権も取れないだろうという絶望的な状況に置かれていると思いました。だから追い詰められて息子を連れ去ろうとするかもしれない。会わせるなんて、そんな危険なこと絶対無理。私が息子を連れ去られた立場だったらって考えると、より恐怖が増すんです」とTさん。