『「松本」の「遺書」』に書かれていること

普通のタレントが逃げるようなスキャンダルでも、オレには全然効果がないのだ。自分のイメージなんてどうでもいいし、髪型とかファッションなど二の次、三の次、ましてや私生活のことを悪く書かれても、“芸人松本”としては、全然関係ないことなのだ(『「松本」の「遺書」』37ページ)。

こう啖呵を切った上で、この回を「オレはダウンタウンの松本、笑いに魂を売った男なのだ!」と結んでいる。

今回、記者会見を開かない理由は、まずここにあろう。

スキャンダルの意味がない、それは、“芸人松本”の笑いにとって、なのである。笑いにつながらないから弁解はしない。逆に、X上での発言は、ことによると、笑いのひとつなのかもしれない。

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同書のもとになったのは、昨年休刊となった『週刊朝日』の「オフオフ・ダウンタウン」という連載である。「正真正銘オレが100パーセント書いていることは確かだ」(同書109ページ)と断言しており、噂されたゴーストライター説を退けている。

ビートたけしのバイク事故や、サッカーW杯のアメリカ大会、ドラマ「家なき子」、阪神大震災、オウム真理教事件といった、時事ネタへの言及とともに、96編のコラムのなかで、最も多くタイトルに使われている単語は何か。

「オレ」(38回)である。

「ハデな言葉」とは裏腹に伝わってくるもの

「笑い・お笑い」を合わせた回数(16回)の倍以上にのぼる。もちろん、タイトルは本人だけではなく、編集部の意向も強かったに違いない。とはいえ、「オレの笑い」への強いこだわりが、同書を貫いている様子がわかる。

オレの笑いが理解できないということは、酒を飲めないヤツといっしょで、オレの笑いを理解できるヤツの半分しか人生を楽しめてないのだ。頭の弱いヤツなのだ。(同書83ページ)

過激というか、時代をあらわしているというか、今なら、編集部がカットするか、本人が自粛してしまうかもしれない。

当時から反発を織り込み済みではあったようで、連載の締めくくりにあたって、「オレが言いたかったこと、それは、自分に自信をもつことは悪いことじゃないということである」(同書254ページ)と述べている。

裏を返すと、まだ、と言うべきなのか、いまだに、なのかわからないが、著者自身が、「親や家族を養っていく本業である仕事に自信をもち」(同書254ページ)たがっている。

自信を持っているなら、わざわざ、こうは書かないだろう。派手な言葉とは裏腹に、彼のことばからは、こうした心配や不安が伝わってくる。

そして、この「自信のなさ」が、刊行から27年が過ぎても新しい読者を惹きつける魅力なのではないか。