「年ごろの娘がいる父親なんで」
昨年10月、NHKは「松本人志と世界LOVEジャーナル」を総合テレビで放送した。
同局がウェブサイトで「いま世界では『性』の価値観をアップデートしようという機運が高まっています」と綴ったこの番組は、しかし、「“性”の話題を楽しくまじめに語り合う」とのコンセプトには届かなかったかもしれない。
「クリトリス」や「顔に(精液を)かける」といった、NHKらしからぬ単語や表現が飛び交ったとはいえ、ぎこちない空気は消せなかった。
冠をつけたお笑い芸人の責任ではない。
日本で最も権威のある放送局(NHK)で、いま1番政治的に正しいテーマ(性の多様性)について語る場に、「オレの笑い」の出る幕は、どこにもない。
30年ほど前には「自分のイメージなんてどうでもいい」と断言していたのに、「年ごろの娘がいる父親なんで」(同番組の冒頭)MCを引き受けたと語る。変わり身ととらえられるかもしれないが、その内実は、昔から何も変わっていないのではないか。
そう考える根拠もまた、あのベストセラーにある。
「家族のために」否定せざるを得ないのか
このすぐ後に、次のように続けている。
その後に結婚して、女児をもうけたのを“矛盾”として攻撃したいわけではない。逆に、執筆時点の話だとの留保は、同書の予言通りと言えるだろう。
それよりも、「子供が小学生にでもなると、親父がコメディアンという理由でいじめられるかもしれない」(同書71ページ)と書いている、その部分に引っかかる。
明石家さんまは、
と、ラジオ番組(「MBSヤングタウン 土曜日」2024年1月13日放送分)で推測しているからである。
子どもを守るために、今回の疑惑を否定せざるを得ないとしたら、被害を訴えている人にも、関係者にも、そして本人にも、「家族というのは百害あって一利なし」との見方もできよう。
「オレの笑い」のためには家族を見捨てるのか、と言えば、そうではない。家族を、どこまでも気にしているのであり、そうした彼の、あいまいな態度が、私たちを饒舌にさせ、語らせ続けるのである。