なぜ日本人は松本人志に熱くなるのか
昨年末に『週刊文春』が、松本人志による性加害疑惑を報じ、その次の号でも同誌は、続報を出す。
彼は、報道当初から疑惑を否定し、X(旧ツイッター)で立場を明らかにするとともに、フジテレビ系「ワイドナショー」への出演についても言及していた。
その後の展開は、ご存じの通りである。
「当面の間活動を休止したい旨の強い意向が示されたこと」によって、所属する吉本興業は「本人の意志を尊重することといたしました」と1月8日に発表している。
『週刊文春』で行動を共にしていたと報じられたスピードワゴンの小沢一敬は、翌9日には活動継続を明らかにしていたものの、13日になって、本人からの申し出によって「当面の間、小沢一敬の芸能活動を自粛すること」をウェブサイトで所属事務所が公表した。
彼らが何をしたのか、あるいは、していないのか。
一億総評論家状態のいま、屋上屋を架す意味はないだろう。
すでに論点や視点は出尽くしているように見えるし、だれもが公式の場面では優等生になるしかないから、わざわざあらためて書くまでもない。
それよりも興味深いのは、このひとりの芸人をめぐって、私たちが、ここまで熱くなっているところである。何が、これほどまでの注目を集めさせるのか。
30年続く「松本ブーム」
「ダウンタウンの松本人志」がお笑いの世界を超えて、広く知られたのは、初の著書『遺書』(朝日新聞社)が約250万部、続く『松本』(同)が約200万部という大ベストセラーとなった1994年から1995年にかけてである。
このときも、日本は、この男に夢中だった。
1995年4月8日の読売新聞夕刊は「人気の理由を出版社に尋ねても『われわれにもよく分からない』。このつかみどころのなさがベストセラーの秘密だろうか」と書いている。
出す本が、すべて途方もなく売れたわけではない。
『松本人志 愛』(朝日新聞社、1998年)や、『松本坊主』(ロッキング・オン、1999年)といった著作は、目立ったものではない。
しかし、1995年の売り上げ1位と2位に並んだ『遺書』と『松本』をあわせて文庫化した『「松本」の「遺書」』(朝日文庫)は、1997年の初版から現在までの27年にわたって流通している。
2~3年で絶版になる本が少なくないなかで、芸能人の、それも売れた本への高いニーズが続いている。異例である。
今回の報道をきっかけに手にとった読者も多いのではないか。
かくいう私もまた、じっくりと読んだのは初めてだった。そこに書かれていた内容をヒントに、その行動原理を探ってみよう。