ブルトレブームでも国鉄の経営は厳しかった

また、テレビでも取り上げられ、1978年3月5日には「日曜☆特バン 激走 夢の寝台特急 ブルートレインのすべて」がTBS系で全国放送された。番組は国鉄がスポンサーとなっていた日本テレビ系の「遠くへ行きたい」などにも出演していた女優の岸ユキさんらが寝台特急「富士」に乗車、ブルートレインの旅を紹介するというもの。

寝台特急「富士」(写真=Gohachiyasu1214/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

また、翌1979(昭和54)年4月18日にはNHKの「新日本紀行」で「『青い流れ星にのって』〜ブルートレイン・さくら号〜」も放映されている。

撮影=桟敷勇次郎
ブルートレインの撮影に群がる人々

こうして人々やマスコミからの注目を受けていたものの、実はこの時代、国鉄の経営は後述のように厳しい状況にあり、またブルートレインをはじめとする国鉄の利用者数も落ち込んでいた。

文字のみのマークからイラスト付きマークへ

そんななか、東京駅に集まる中高生たちの姿にヒントを得たのだろうか、国鉄ではシェア改善策のひとつとして1978年10月ダイヤ改正を機にヘッドマークのテコ入れを始めた。それまで文字だけで表現されていた特急電車のヘッドマークをイラスト入りのカラフルなものに変更したのだ。

ブルートレインの客車の前後にも文字だけのトレインマーク(先頭部は機関車が連結されているので、実質的にはテールマーク)が付いているが、これは翌1979年7月からイラスト入りに替えた。

このイラスト入りヘッドマークによる増収への効果は不明だが、PR効果はあると判断されたのだろう。国鉄晩年の1984(昭和59)年2月には九州エリアでヘッドマークが復活、同年10月には上野発着の「あけぼの」(ヘッドマーク復活は上野〜黒磯間)、「ゆうづる」(同じく上野〜水戸間)でヘッドマークが復活した。さらに翌1985(昭和60)年3月までに全国でブルートレインのヘッドマークが再掲出されるようになった。