鉄道ファンにとって「暗黒の時代」の到来
やがて現場や管理者からヘッドマークの扱いが煩わしいという声が出てきた。1969(昭和44)年には門司機関区の電気機関車でヘッドマークの使用が中止となり、翌年10月には九州島内のディーゼル機関車もヘッドマークの掲出を中止した。これで九州を走るブルートレインは、すべてヘッドマークなしの運行となった。
この九州の動きはほかの線区にも波及し、1973(昭和48)年10月以降、ヘッドマーク付きで運行されているブルートレインは東海道・山陽本線の直流電気機関車だけとなってしまった。さらに1975(昭和50)年3月改正では、東京機関区が担当する東京発着のブルートレインだけとなってしまったのである。
ちなみに「SLブーム」として社会現象を引き起こした国鉄のSLも1975(昭和50)年12月で本線運転を終了、1976年3月には入換え用として残っていたSLも運用を終え、国鉄全線で完全引退となった。
鉄道愛好者、ブルートレイン愛好者にとっては、まさに暗黒の時代となってしまったのだ。
70年代のブルトレブーム
しかし、東京発着のブルートレインだけにヘッドマークが残ったという「希少性」は、新たな鉄道愛好者を呼び寄せることにもなった。
月刊『鉄道ファン』誌では1975年1月号で「ブルー・トレイン」特集を組んだ。巻頭グラフに始まり、ブルートレインの魅力をいろいろな切り口で紹介、70ページを超える大特集にまとめられていた。同年6月号には50.3ダイヤ改正による車両の組み替えなどを紹介した「“ブルー・トレイン”スペシャル」という記事が入り、さらに7月号には「あなたの“ブルー・トレイン”」というやはり70ページ超の特集が組まれた。
このあたりがきっかけになったと想像できるが、ポストSLのテーマとしてブルートレインに注目が集まり、やがて「ブルートレイン・ブーム」へと進んでいくのだ。
一般のマスコミが「ブルートレイン・ブーム」に注目するのは、1978(昭和53)年に入ってからだ。国立国会図書館の蔵書リストで調べると、同年4月発行の『ブルートレイン&スーパートレイン』(二見書房)あたりが口火をきったと思われる。これは64枚のカードで構成された商品で、写真・解説は鉄道写真家の廣田尚敬氏が担当している。
同年10月には西村京太郎氏の『寝台特急殺人事件』(光文社カッパ・ノベルズ)も上梓された。書名は「寝台特急」となっているが、ここに「ブルートレイン」のルビが添えられていた。ちなみに本書が西村氏の鉄道トラベルミステリーの原点ともいえる作品となった。
国立国会図書館蔵書リストによると、ブルートレイン関連書籍は同年に7点、翌年には14点と倍増、以後、JR発足にかけて毎年十数点が発行される盛況となった。