話が面白くない人ほど「ユーモアのセンスがある」と思っている

そして最近では、彼ら賢人たちの正しさが、心理学の研究によって証明されるようになった。それらの研究によると、能力の低い人ほど自信過剰になるという。あまりにも能力が低いので、自分に能力がないことさえも理解できないからだ。

この現象は、ユーモアのセンス、趣味のよさ、創造性、知性、各種の体を使うスキルなど、ほぼすべての分野で見ることができる。たとえば、話が面白くない人ほど自分はユーモアのセンスがあると考え、趣味の悪い人ほど自分は趣味がいいと考え、頭の悪い人ほど自分の知性を高く評価する、といった具合だ。

つまり、能力が低いと、パフォーマンスの質が下がるだけでなく、自分の能力のなさを理解できないという事態にもつながるということだ。

たとえば私は、教える仕事を始めたばかりのころ、ただ教壇に立って思いついたことを話せばいいと思っていた。自分には面白い授業ができるという確信があったので、準備もしなかったほどだ。

たしかに学生たちの笑いを取ることはできたが、優秀な学生たちはすぐに欠陥に気がついた。私の授業には、きちんとした骨組みもなければ、中身もなかったからだ。彼らは講義の概要を読み、そこに書かれている内容を私がきちんと教えていないことに気づく。そして、仕方がないので自分で勉強することになる。

勉強熱心ではない学生の褒め言葉で悦に入っていた

その一方で、あまり勉強熱心でない学生たちは、私の授業を気に入ってくれた。そこには学ぶこともなければ、勉強することもなかったからだ。私も自分の授業に満足していたので、学生からの苦情には耳を貸さず、褒め言葉だけを聞いて喜んでいた。――「授業は面白くなければならないということをわかっている先生がついに現れた」「こんなに活発な討論がある授業は初めてだ」などなど。

もちろん、そういった褒め言葉も本当のことかもしれない。しかしその反面、学生が学ばなければならないことは教えていなかったのだ。

数年がたち、学生からの苦情にも耳を傾けるようになると(単純に数が増えたので、そうせざるを得なかった)、最初は少し意気消沈した。教えることに対する自信が揺らぎ、そこから学者としての資質にも疑問が出てきた。しかし、そうやって現実を直視したことで、授業の質を上げるための重要な一歩を踏み出すことができたのだ。