父親は「危険運転」の適用を求めたが…

加害者と対峙たいじするのは辛かったが、それでも傍聴席で黙って見ているより、一言でも自分の言葉で疑問をぶつけたいと思った眞野さんは、「被害者参加制度」を利用し、刑事裁判に参加することを決めた。

「被害者参加制度」とは、犯罪被害者や彼らの委託を受けた弁護士が「被害者参加人」という立場で刑事裁判に参加する制度のこと。2008年12月1日以後に起訴された事件から導入された。被害者参加人になると、原則として法廷で検察官の隣に着席して裁判に出席することができ、証拠調べの請求や論告・求刑など、検察官の活動や法律の適用などについて意見を述べたり、説明を求めたりすることができる。また、被告人や証人に対して直接質問することもできるのだ。

初公判は2012年1月12日、名古屋地方裁判所で開かれた。しかし、このまま「過失」で裁判が進んでしまうことがどうしても許せなかった眞野さんは、2月15日に予定されていた第2回目の公判までに署名活動を行い、3度にわたって名古屋地検に足を運び、危険運転への変更を求めた。

しかし、2度目の面談を終えたその夜、電話の向こうの眞野さんの声は、いつになく沈んでいた。

「息子は犬死です」

「弁護士と共に名古屋地検に出向くと、検察庁の中でも責任ある立場の者が話をしたいとのことで、古崎孝司検事と交通部長の互淳史検事が席に着きました。彼らは『今回の事件においては危険運転にあたる要件はひとつもありません』そう言いました。その理由は、『加害者は逮捕後、片足でまっすぐに立てたので、飲酒運転とはいえない』『事故を起こすまで細い道をまっすぐに走っているので、“正常な運転ができなかった”とはいえない』『一方通行逆走も、赤信号をことさら無視という条文の文言には当てはまらない』『無免許でも、長い間乗っていれば技術がある』というのです」

そして、3月12日、午後4時。名古屋地方裁判所で下されたのは、自動車運転過失致死罪で懲役7年。危険運転致死傷罪どころか、検察が求刑した懲役10年にも満たない刑罰だった。事故当時のスピードは時速50~60キロとした公訴事実通りに判決が下された。

刑務所に収監されていた被告はすでに刑期を終えて出所したが、遺族である眞野さんには民事の賠償も、直接の謝罪もいっさいないまま、ブラジルへ帰国。現在も行方が分からないままだという。

眞野さんはため息をつきながら語る。

「飲酒、ひき逃げ、無免許、無車検、無保険、逃走中に無灯火で、一方通行逆走。こんな悪質な運転を『過失のうっかり事故』で裁かれたら、息子は犬死にです。何のために生まれてきたのかわかりません。しかし、これが危険運転致死傷罪の現実なんです」

写真=筆者撮影
長男・貴仁さんが渡り切れなかった横断歩道を見つめる父・眞野哲さん