挟まれる事故、逆走事故が相次ぎ…

キャンペーンの内容も次第に変化している。2010年には「お客様のおけがを防止するために、ご利用の際には手すりにつかまる」というあいまいな文言だったが、2014年以降は「エスカレーターで歩行用に片側をあける習慣は、片側をあけて乗ることのできないお客様にとって危険な事故につながる」と明言されるようになった。

鉄道事業者で顧客分析を担当していた筆者の肌感覚として、エスカレーターの安全に注目が集まったのは、2006年のシンドラー社製エレベーターの事故、2007年から2008年にかけて多発した樹脂製サンダルがエスカレーターに挟まれる事故、またビッグサイトのエスカレーター逆走事故など、2000年代後半に昇降設備の安全性が注目されたことと関係があると感じている。

写真=時事通信フォト
2008年8月3日、急停止で負傷者を出す事故を起こしたエスカレーター(東京・江東区有明の「東京ビッグサイト」西ホール)

そこからキャンペーンの開始を挟み、2012年頃から新聞やネットでエスカレーター歩行の是非が取り上げられる機会が増えた。

しかし関西においては50年、関東においても30年もの間、定着してきた慣習を覆すのは容易ではない。前出のアンケートで示されたように、多くの人はエスカレーターでの歩行はやめたほうがいいと考えながらも、なかなかやめられない。

「走らないで」と呼びかけられている場所で、自分は急いでいるからと走る人の存在を思い起こせば、誰もが危険であり迷惑だと感じるだろう。エスカレーターでの歩行も同様と断じることは容易だ。

「片側空け」を終わらせる唯一の道とは

だがこの問題はこのような単純な切り分けでは解決できない。というのもこれまで見てきたように、片側空けは「進歩」「国際化」なマナー、エチケットとして推進されてきたものだからだ。そしてそれは好き勝手にさせろという主張ではなく、それぞれの利用者の立場やペースを「思いやり」、共存するための主張だったから受け入れられてきたのである。

多くの人が良いことではないと思いつつも、禁止とまで言われると反発してしまうというのも、そのような心情によるものだろう。しかしそれは多数にとっての効率が重視される前時代の価値観であり、多様性への配慮と共存が求められる現代とは異なるものである。

1981年の朝日新聞にあったように40年前から「片側空けができない人」がいるという問題意識は存在していた。しかし、推進派の思い描く、急ぐ人、急がない人が共存するための思いやりのある社会の中に、少数かつ不都合な彼らの存在は含まれていなかった。

結局、価値観の転換が習慣を変えるという、これまで幾度も起こってきた出来事のひとつとして受け入れることが片側空けを終わらせる唯一の道である。海外では依然、片側空けがマナーであり、歩行禁止の取り組みが行われては失敗しているようだが、たまには日本が世界に先駆けてもよいではないか。