巻き上げた金は「農民の数百年分から千数百年分の年収」

ところが、寛和二年(九八六)に着任した尾張守藤原元命は、こうした従来よりの規定を平然と無視したという。

永延二年(九八八)までの三ヶ年に合計で二万一五〇〇石を超える額の強制融資を追加して、百姓たちから六四〇〇石以上もの米を利息として取り立てたのである。もちろん、この六四〇〇石は、その全てが元命個人の懐に入ったことだろう。

ちなみに、こうして元命が尾張国の百姓たちから巻き上げた米六四〇〇石は、王朝時代の大半の人々にとって、一生を費やしても稼ぎ出し得ないほどの巨富であった。当時、一般的な雑役に従事する労働者は、朝から晩まで働いても、一升(〇・〇一石)もしくは二升(〇・〇二石)ほどの米しか手にできなかったのである。そんな庶民層の人々にしてみれば、六四〇〇石というのは、数百年分から千数百年分の年収に等しい額であった。

だが、公的融資の制度を悪用する受領国司たちには、それだけの額を稼ぐことも、そう難しいことではなかったにちがいない。

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着服のために大増税を断行

しかも、尾張守藤原元命が自身の蓄財のために悪用したのは、事実上の課税制度となっていた公的融資制度だけではなかった。尾張国の富を吸い上げられるだけ吸い上げるつもりであった元命は、本来的な課税制度をも、存分に悪用したのである。

[第三条] 朝廷の許可を得ずに税率を大幅に引き上げた。

違法な税率を用いて百姓たちから税を取り立てた尾張守は、けっして藤原元命だけではない。

実のところ、元命に先立つ歴代の尾張守たちは、一町(約一万四四〇〇平方メートル)の田地について九石もしくは十二石という税率を当たり前のように用いていたらしいのだが、それは、朝廷によって定められた一町につき四・五石という税率から大きく逸脱したものであった。

どうやら、王朝時代の尾張国においては、法定に倍する税率での課税が、慣例化してしまっていたようなのである。

だが、そんな尾張国に生きる百姓たちも、元命が寛和二年(九八六)に新しく採用した税率には、さすがに憤慨せずにはいられなかった。というのも、元命の提示した新税率が、一町につき二十一・六石という、あまりにも高いものだったからである。

それは、従来の違法税率の一・八倍から二・四倍の税率であり、法定税率と比すれば四・八倍にもなる高過ぎるほどに高い税率であった。

農民が作ったものを不当に安く買い上げる

王朝時代の受領国司は、税として徴収した米を財源として、さまざまな物品の買い上げを行った。というのも、任国にて調達した多様な物品を朝廷に上納することもまた、当時の受領たちが帯びていた重要な任務の一つだったからである。

だが、尾張守藤原元命のような悪徳受領は、そうした公務としての買い上げの際にさえ、私腹を肥やさんとして、あまりにもえげつない不正を働いたのであった。