人前では漢字をちゃんと書かない
紫式部は宮中で、嫉妬し、嫉妬されていた。
他人の嫉妬を避けるための手立てであろうか、人前では一という漢字すらちゃんと書かないようにしたり、つとめて目立たぬように振る舞ったりした。結果、
しかしこれこそが彼女が望んだことであり、おかげで彰子中宮からも「ほかの人よりもずっと仲良くなったわね」と仰せを頂き、紫式部は宮仕えで居場所を得た。
『紫式部日記』から浮かび上がる、彼女が自身に課している処世術は、「出る杭にならず、程良く中庸に生きる」というものであった。『源氏物語』が好評を博し、彰子の家庭教師として重用されたことからすると、紫式部の処世術は成功したと言っていい。
そんな紫式部は、『源氏物語』でヒロインの紫の上にこう思わせている。
言いたいことも言えない
さらに、
と続ける。
無言太子とは波羅奈国の太子で、何もかも悟っていたため、生まれて13年間、無言でいた。それで王に生き埋めにされそうになった時、初めて喋ったので生き延びたという『仏説太子慕魄経』などに見える説話である。
感情表現を抑え、知識も披露する機会がなくては、何を喜びに生きていけようかというのである。
この心内語は紫の上ではなく、源氏のものという説もあるが、いずれにしても紫式部の考えを反映していよう。
生半可に“さかしだち、真名書きちらし”(利口ぶって漢字を書き散らし)、ものが分かった顔をしている人の行く末は“いかでかはよくはべらむ”(ろくなものではありません)と清少納言をこきおろし、人前では、一という文字すら書きおおせぬふりをした紫式部は、その実、誰よりも感情表現や知識を披露する喜びを求めていたのである。