源氏物語に描かれた「結婚も出産も拒む若い女」

時に作家は、登場人物に自己を仮託しながらも、その登場人物が作家の思想を超えて、思いも寄らぬ境地に達することがあるものだ。

その境地に達したのが、最後のヒロイン浮舟ではないか。

女房腹という『源氏物語』で最も低い階級を与えられた浮舟は、物語に登場時、無言太子さながらことばを発せず、何も感じていないかのようだった。それがしまいには、出家をしたいという意志を貫き、血縁も地縁も超えた疑似家族の中で、生きていくという選択をした。

もとより作者の紫式部自身は父親ほどの年齢の男と結婚し、子をもうけ、夫と死別後、意に染まぬ宮仕えに出たわけだが、彼女の綴る物語の果てには、結婚も出産も拒む若い女の姿があった。

恋しい母とも再会せず、男ともすれ違ったまま生きていくその姿は、物語ができた当初は愚かしく見えたかもしれない。

だが。

“数ならぬ人”“かの人形ひとがた”“形代かたしろ”と親や男に呼ばれ、“かくまではふれたまひ”(こうまで零落なさって)と、横川の僧都にも形容された浮舟が、「家族」を再生産する道を離れ、誰の身代わりでもない自身の人生を、心もとない足取りながら歩もうとする様は、今に生きる私にとっては、不思議なすがすがしさと解放感を覚える。

自分だけは自分を見捨てるべきではない

先に浮舟の到達した境地は作家の思想を超えていたといったようなことを書いたが、紫式部は

「こんなにも落ち込んでもよさそうな身の上なのに、ずいぶん上流ぶっているわねと、女房が言っていたのを聞いて」(“かばかりも思ひ屈じぬべき身を、「いといたうも上衆めくかな」と人の言ひけるを聞きて”)こんな歌を詠み残してもいた。第一章では詞書ことばがきだけ紹介した、その歌とは、

“わりなしや人こそ人といはざらめみづから身をや思ひ捨つべき”(理不尽なことよ。他人こそ、自分を人間扱いしないとしても、自分で自分を見捨てていいはずはないでしょう)
大塚ひかり『嫉妬と階級の『源氏物語』』
大塚ひかり『嫉妬と階級の『源氏物語』』

自分だけは自分を見捨てるべきではない、というのである。

嫉妬と階級の渦巻く宮仕え生活の中で、そんな心境に達していた紫式部。その思いは、「身代わりの女」というモチーフを繰り返した『源氏物語』の一つの到達点……他者の身代わりでい続ける世界から抜け出して、最後の最後に生きることを選び取った浮舟の行き着いた境地に、そして嫉妬と格差にまみれた今に生きる我々に響き合っている。

数百年、千年残る古典文学には、未来へのメッセージが込められている……と、私が言い続けるゆえんである。

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