人前では漢字をちゃんと書かない

紫式部は宮中で、嫉妬し、嫉妬されていた。

他人の嫉妬を避けるための手立てであろうか、人前では一という漢字すらちゃんと書かないようにしたり、つとめて目立たぬように振る舞ったりした。結果、

「おっとり者と人に見下されてしまった」(“おいらけものと人に見おとされにける”)

しかしこれこそが彼女が望んだことであり、おかげで彰子中宮からも「ほかの人よりもずっと仲良くなったわね」と仰せを頂き、紫式部は宮仕えで居場所を得た。

紫式部日記』から浮かび上がる、彼女が自身に課している処世術は、「出る杭にならず、程良く中庸に生きる」というものであった。『源氏物語』が好評を博し、彰子の家庭教師として重用されたことからすると、紫式部の処世術は成功したと言っていい。

そんな紫式部は、『源氏物語』でヒロインの紫の上にこう思わせている。

「女ほど、身の振り方が窮屈で、哀れなものはない」(“女ばかり、身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし”)(「夕霧」巻)

言いたいことも言えない

さらに、

「感動したり、面白いと思うことがあっても、分からないふりをして引っ込んで、隠れたりしていたら、一体何によって生きている張り合いを感じたり、無常な世の寂しさをも慰めたりすることができるだろう。だいたい世の仕組みも分からない、話しがいのない人間になってしまったら、育て上げた親としても残念でたまらないのではないか。言いたいことも心にしまってばかりで、“無言太子”とか、小法師どもが悲しいことのたとえにしている昔の人のように、悪いことも良いことも分かっていながら埋もれているとしたら、何のかいもないではないか」(“もののあはれ、をりをかしきことをも見知らぬさまに引き入り沈みなどすれば、何につけてか、世に経るはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは。おほかたものの心を知らず、言ふかひなき者にならひたらむも、生おほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや。心にのみ籠めて、無言太子とか、小法師ばらの悲しきことにする昔のたとひのやうに、あしき事よき事を思ひ知りながらうづもれなむも、言ふかひなし”)

と続ける。

無言太子とは波羅奈国の太子で、何もかも悟っていたため、生まれて13年間、無言でいた。それで王に生き埋めにされそうになった時、初めて喋ったので生き延びたという『仏説太子慕魄経』などに見える説話である。

感情表現を抑え、知識も披露する機会がなくては、何を喜びに生きていけようかというのである。

この心内語は紫の上ではなく、源氏のものという説もあるが、いずれにしても紫式部の考えを反映していよう。

生半可に“さかしだち、真名書きちらし”(利口ぶって漢字を書き散らし)、ものが分かった顔をしている人の行く末は“いかでかはよくはべらむ”(ろくなものではありません)と清少納言をこきおろし、人前では、一という文字すら書きおおせぬふりをした紫式部は、その実、誰よりも感情表現や知識を披露する喜びを求めていたのである。