安閑天皇即位の際の年齢は、六十六歳です。当時の天皇は終身制でしたから、かなりの年齢になってから即位するという状況もありました。皇后は春日山田皇女です。第二十四代仁賢天皇の娘であり、姉の手白香皇女は継体天皇の皇后でした。姉妹で、継体天皇・安閑天皇親子に嫁いだわけです。

安閑天皇には子供がおらず、安閑天皇の弟が継いで第二十八代宣化天皇となるわけですが、宣化天皇の皇后もまた仁賢天皇の娘である橘仲皇女です。仁賢天皇の曾祖父である仁徳天皇の仁徳朝の血をひたすら女系でつなげようとしています。

宣化天皇にも息子がおらず、弟が継いで第二十九代欽明天皇となります。欽明天皇の皇后は宣化天皇の娘である石姫皇女で、徹底して女系で男系を補完しているということがわかります。

男系男子への執念、女系は最後の手段

さて、しつこいですが、こういうことを言う人がいます。

有力説
安閑・宣化天皇と欽明天皇の王朝は対立していた。

結論から言うと、「だから何?」なのですが。ちなみに後世でも、源平合戦、南北朝の動乱と二つの朝廷が並立したことはあります。

倉山満『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)

継体天皇王朝交代説の他に、安閑・宣化と欽明の二つの王朝が立って、対立していたとするSFを唱える人もいますが、どう考えても、継体・安閑・宣化・欽明と連続して仁賢天皇の娘ないし孫娘を皇后としており、仁徳朝とつながっています。

仮に継体天皇がどこぞの馬の骨だったとしても、皇后が手白香皇女であることで、子孫に対して女系で仁賢天皇の血を補完しているわけです。安閑・宣化・欽明がまったく違う王朝だったとしたところで、仁賢天皇の血が入っていることは間違いありません。どこをどう突かれても万世一系がつながっているようにできています。

継体天皇が議論の余地なく明らかに皇室とは赤の他人だった時には女系になるという、それくらい女系というのは最後の手段です。

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