「目的」を持たない

我々が生きているこの社会は「目的社会」である。人々がそれぞれ無数の目的を携え、その目的に向かってせっせと動き回ることでできあがっているからだ。

人が何らかの目的を持って生きるのは当たり前だと思われるかもしれない。しかし、太古の昔、狩猟採集で生きていた人たちが持っていた目的はせいぜい、獲物や木の実など日々の食料を確保したり、けものから襲われない工夫をしたりすることぐらいだったはずだ。

だが文明が発達して科学が生まれ、社会が複雑化していくにつれ、人間が持つ目的の数は幾何級数的に増えていくことになった。

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「今」を置き去りにしてはいないか

目的を持つことは前へ進む力になるが、目的の数が多すぎるとマイナスの面が出てくる。それ自体がストレスになったり、本来の生きる意味がわからなくなったりするのだ。

客観的に見れば、現代人は数多の目的に振り回されて生きているかのようである。常に何かの目的を意識して生きているということは、心が「今」より先にあるから、「今」を十分に生きていないということだ。

心は「今」を生きてこそ、初めて充ちるものである。だから「今」を置き去りにしたような生き方は、不安と焦りをき立てる。

そこから解放され、自分の本来の人生を取り戻すには、目的に縛られない生き方を探ることである。そのためには、「目的を持たない」時間にこそ価値があるという感性が求められるのである。