審判を守るためにリプレイ検証が必要

「プレーは選手のものですが、判定は審判のもの。その触塁をきちんと見せられなかったなら、厳しい言い方ですが雑なプレーです。それを高度なプレーだと主張するならば判定のリスクも伴うものだという覚悟が必要です。

また第三者がたった一つの判定で人生が変わる、などと言うのはあまりにも大袈裟。運も不運も平等で、それを恨めばその後も愚痴と泣き言ばかりが続き、笑い飛ばせば運も向くはず。大谷選手はファウルをホームランと判定され甲子園を逃したらしいが、それがどうした? と言いたくなる。

ただ、こういったSNSでの誹謗中傷やスポーツの本質を理解しない人があまりにも多くなり過ぎたがために、アマチュア野球界でもリプレイ検証は必要になってきたのかなとは思います。それはあくまでもこんな『事件』から審判を守るために、です」(山崎夏生氏)

審判を下に見る風潮

筆者は、常々日本球界は「審判へのリスペクト」が少ないと痛感する。今回の例だけでなく、プロ、アマ問わずプレーがもつれると「審判に問題がある」かのように言われることがしばしばある。その根底にあるのは、「審判のステータスの低さ」だ。

日本プロ野球は、草創期から元プロ選手が数多く審判に転身してきた。古くは二出川延明、苅田久徳のように野球殿堂入りした大野球人も審判になったが、戦後はプロで実績のない選手が審判に転向することが多くなった。

そういう審判が判定する試合では、監督やコーチが露骨な抗議をすることが多かった。「現役時代は大した実績なかったくせに、偉そうな顔をしやがって」という審判を見下げた感情が根底にあるのだ。試合後も「あの審判はダメだ、なってない」とあからさまに言う監督もいた。

そうしたプロ野球の態度が、アマ球界にも影響を与え「審判軽視」の風潮ができたのではないか。

甲子園もボランティア

アマチュア球界の審判は、甲子園という大舞台であっても全員が「ボランティア」だ。わずかな謝礼と移動費だけで球審、塁審を務めている。防具など審判用具は自前だ。それでも審判は高度な審判技術を維持するために勉強会を開いたり、日々練習をするなど研鑽を積んでいる。

審判の仕事は「間違えずにジャッジをして当たり前」であり、疑念が残れば今回のように非難される。アマチュア審判であっても、個人が特定されればプロ野球の審判のように誹謗中傷にさらされるリスクも生じる。まさに「労多くして功少なし」だ。

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日本では野球競技人口の減少が問題になっているが、審判員もなり手が減少している。若手が少なく、高齢化も進行している。大学、高校、社会人などを掛け持ちする審判も多い。

そうした状況で「疑念が残る判定」で審判を非難する風潮が広まれば、ますます審判の成り手は減ってしまうだろう。