面接でニコリともしない大前さん

面接を受けたのは私一人だけ。面接官も大前さんだけだったような。当時のマッキンゼーには採用担当者などいなくて、日本人の学生を面接するというのでたまたま暇だった大前さんに仕事が振られたんだと思います(笑)。

とにかく初見でいきなり大前さんと一対一の状況に放り込まれた。大方想像はつくと思いますが、大前さんはあまり人当たりがいいタイプではありません。むしろ自分をコワモテに見せるようなところがある(笑)。

面接でもニコリともしない。ただ、いろいろな質問をしてくるから、「人間には興味があるんだな」と思いました。

面接には論文も持ち込みました。大学3年のときにアメリカ人の先生の研究旅行に同行してメキシコに行って、「メキシコ日産でメキシコ人のトップマネジメントと日本のトップマネジメントの間のコミュニケーションはどのように取られているか」というテーマで私も現地調査を行いました。それを英語の論文にまとめたのです。

大前さんは論文に目を通して、私の関西弁と英語のギャップに驚きながらも、「こういう調査ができるやつがいたら役立つかも」と思ったのかもしれません。

結局、3時間ぐらいあれこれと話をして、その後に「キミ、来たらどうや?」と声をかけていただきました。

どうしてマッキンゼーに行く気になったのか、今でも不思議ですね。やっぱり悠長な時代だったんでしょう。就職しようと思えば、いくらでも口はあったし、友人も大会社や名門企業に随分行きました。いざとなれば仕事は何とでもなると思っていたし、「『来い』と言われてんねんから、ま、行こか」という感じで。私はもともと大らかですから。

大前さんとしては経営も経済も勉強していない新卒の学生を採るのはリスクだと思っていたんでしょう。だから、コンサルタントをサポートして下調べをするリサーチャーという立場で私をマッキンゼーに入れた。給料は他社に就職した友達よりも若干高い程度でした。

入社後、あるコンサルタントから言われことがあります。
「コンサルタントは神様なんだ。お前らとは違う」

当時はコンサルタントが神様で、リサーチャーはSecond Citizen(二級市民)と言われていました。その下にThird Citizenのセクレタリーがいた。今だったら問題になるでしょうが、初期の頃にはそういう階級が厳然としてありました。

それでも私は特に違和感を覚えなかったし、言われた仕事は何でもこなした。だから重宝がられたんだと思います。

次回は「後輩が語る"マッキンゼー青春の日々" (2)——大前さんとの初仕事」。9月24日更新予定。

(フォアサイト・アンド・カンパニー代表取締役、ビジネス・ブレークスルー大学・大学院教授 斎藤顯一=談/小川 剛=インタビュー・構成)