ほとんど親の宿題化「自由研究」をChatGPTはできるか

ただ根本的には、生成AIのほうが優れたものを書く、あるいはそれを評価者が見抜けないというのであれば、使用を禁止するよりも、いっそのこと夏休みの宿題を含む従来からの課題そのものの在り方のほうを見直すべきではないか。これに関しては後述する。

前述のように、現時点で読書感想文は生成AIの得意分野ではない。得意なのは既存で既知の内容説明のほうであり、読書感想文コンクール上位入賞作品のようなものは到底書けない。アウトラインを示してもらうぐらいの活用が限界である。これを活用して素晴らしい作品が書けるなら、それはそれで力がある証拠である。

では、同じく夏休みの宿題で多くの子供が悩む自由研究への活用はどうだろうか。子供たちがつまずくポイントは「何をどう研究するか」というテーマ設定。例えば、ここを生成AIに頼むというのはアリかもしれない。頼めば、その子の得意科目や趣味、好きなことなどによってすぐさまアイデアを出してくれる。何をどうしたらいいかわからない子供(あるいは親)にとって、これはかなり助けになる。

さらに、アイデアごとに細かく指示を出して頼んでいけば、研究のアウトラインまで作成してくれる。そしてその先で実際に実験をしたり観察・記録をしたりまとめたりといった生の体験をするのは、子供自身。これならばAIに丸投げしているわけではなく、利用しても何の問題もないだろう。

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ただ、筆者は「夏休みの宿題、とりわけ自由研究=実質、親への宿題」と見ている。自分ひとりの力で完成させる立派な子供も存在するが、ほとんどは親が取り組む羽目になる。特に低学年が自力で自由研究をするなど一部の超優秀な子を除けば、かなりハードルが高い。だから最初からそんな課題は出さないほうがよいと考えている。

ところが、世の中には律儀に頑張ってしまう保護者の皆さんはたくさんいる。休み返上で取りかかり、見事な作品を作りあげる。もちろんヒーヒー悲鳴を上げながら。その結果、夏休み後に教室内で開く自由研究の発表は、あたかも互いの家庭教育力の品評会のようになって残念な結果を招く。これも、わが子にクラスでみじめな思いをさせたくないと必死になってしまう親心の結果である。

低学年の場合、「先日ひらがなを習いたての1年生が作ったとは思えない」というハイレベルな作品群が出てくることもしばしばだ。私は、自由研究は結果的に親に過大な負担と労力を与えるだけの悪習であり、もっといえば宿題ゼロが理想という立ち位置を以前からとっている。ところが、多くの教員は自由研究のような課題が親の宿題になってしまうという認識を持っていない。これは夏休みに限らないが、教員には相手の立場を慮って宿題を出すという認識があまりない傾向にある。「自由」研究なのだから、字面通りあくまでも選択制にすべきである。

自由研究反対派の私だが、前述したようにAIを利用することには賛成だ。一番高いハードルである「アイデア出し」「アウトライン作成」の部分を助けてくれるからだ。

生成AIの使用が制限されている、もしくは使いこなせない子供にとって、それが活用できる親は頼もしく感じられるだろう。親としても自由研究のテーマ設定程度のサポートなら、さほどの労力ではないのではないか。よって、本格的な生成AIが登場して初めて迎える今回の夏休みは、親の腕の見せどころともいえる。