「墓石はいらぬ。椿のみを植えて墓標にしてくれ」

実は、樹木葬の歴史は、筆者が調査した限りでは、江戸時代中期に遡る。松尾芭蕉の門人で、伊賀上野藩士の岡本苔蘇たいそが樹木葬の最初とみられる。

撮影=鵜飼秀徳
樹木葬の元祖、岡本苔蘇の椿の樹木葬

岡本苔蘇は、遺言で「墓石はいらぬ。椿のみを植えて墓標にしてくれ」と言い残し、1709(宝永6)年、臨済宗大徳寺派の妙華禅寺(三重県伊賀市)の境内の一角に、侘助椿の樹木葬がつくられた。

無機質な石塔の墓を敬遠し、樹木を墓標にしたいと願ったのは、風流を好んだ俳人らしい選択といえる。この苔蘇の侘助椿の樹木葬は今なお、管理し続けられている。

苔蘇の樹木葬の例はさておき、近年における樹木葬の最初は、臨済宗の知勝院である。同院は1999(平成11)年、岩手県一関市に荒廃した里山を買い取って樹木葬を始めた。霊園の面積は約2万7000m2と広大で、「花に生まれ変わる仏たち」がコンセプトになっている。

ここでは、墓石やカロート(骨壺)などの人工物は一切使用していないのが特徴だ。遺骨は山肌に穴を掘って埋め、その上に墓石の代わりとなるヤマツツジやエゾアジサイなどの低木を植樹する。遺骨はいずれ自然と同化していく仕組み。

この自然回帰傾向が強いタイプを「里山型(樹木葬)」ともいう。里山型は、山の斜面など足場が悪い立地が多いのが難点ではある。

里山型のユニークな例では、島根県隠岐を形成する無人島カズラ島(海士町)に散骨する「カズラ島自然散骨」がある。これは、東京都の戸田葬祭場のグループ会社が手がけるサービスだ。「国立公園内にあって、開発の手が入らず、永遠の静けさが約束された究極の埋葬法」として、人気を博している。

撮影=鵜飼秀徳
海士町のカズラ島での散骨の様子

カズラ島での樹木葬は、地域創生の観点でも注目されている。海士町議会では、島全体を散骨の場にすることに合意。過疎にあえぐ島に、散骨や参拝を通じて「関係人口(地域と多様に関わるよそ者のこと)」を増やしていきたい考えだ。

2022(令和4)年に誕生し、爆発的人気の樹木葬が、福岡県糟屋郡新宮町の「古墳型永久供養墓」だ。全長53メートル、地上高3.5メートルの前方後円墳型。埴輪はにわも置かれている。古代の古墳のように中央部の石室に納骨するのはなく、それぞれに区画を設けて、その下の納骨室に骨壷を納める形式だ。

こちらは無期限(永久)の供養となっている。「樹木葬」とはうたっていないものの、先に説明した「芝生型」だ。時間を経て樹木が育てば、本物の古墳のように森になっていくことだろう。

以上、紹介したように樹木葬といっても、多種多様なのだ。北海道ならハーブやラベンダーの樹木葬、湿気の多い京都であれば苔でできた樹木葬などもすでに存在する。今後も、各地の植生を生かしたユニークな樹木葬が次々と、登場していくことだろう。

撮影=鵜飼秀徳
合祀型の苔の樹木葬(京都・嵯峨嵐山の正覚寺)
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