定規の使用は「スタンダード」だが「強制」ではない

そう考えると、定規の使用を「スタンダード」として示す上で、後は個人の選択とするというのが現実的な手段である。安全・安心に関係する事柄でない以上、「強制」するほどのことではないといえる。

私は拙著『不親切教師のススメ』(さくら社)で、「背の低い順で並ぶのは差別」などこれまでの学校の常識を問い直す意見を書いた。その影響か、ネットやテレビ番組などで批判されたり、「頭がおかしい」と誹謗ひぼう中傷されたりすることもある。だが、そうした一定程度のネガティブな反応はしかたないのかもしれない。なぜなら、記事や書籍などを通じて私は「私」としてはっきり「主張」しているからである。

一つの主張には、必ず反論が出る。陰と陽はセットであり、一方の存在により他方が存在できるからである。つまり、「そうかも」と無意識下で思っていることほど、反論せずにはいられない気にさせてしまう作用がある。

だから、たかが「筆算に定規を使うべきか否か」というような主張にも、永遠に決着がつかない。こんなことが、「多様性の尊重の話」にも通ずる。

松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)

「多様性を尊重する」と主張するということは、「多様性を尊重しない」という考えも尊重しなくてはならず、互いが必ず対立する構造をもっている。多様性については、互いの存在の尊重しかないのである。

結論、当たり前に思っていることにも、議論が必要ということである。そして、声や権力の大きい者や世間の批判にあっさり引き下がるのではなく、自分の考える正しさを言語化して伝えること。

定規の使用一つをとっても、その議論が必要だと思えば学校や先生と議論すべきであるし、自分は従った方がよいと思えば従えばいい話である。年齢や立場の如何を問わず、この姿勢が必要ではないかということの一つの主張である。

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