初読でわからなかったことに気がつくために再読が必要

しかしその感銘が、自分勝手な読み取りでしかないという可能性はまだ残っています。もちろん、自分勝手な読み取りをする自由もまた読者には許されています。しかし自分が本当にその記述にとって、プラトンが言う「語るべき人々」になっているのかを判断する方法はありません。

本は繰り返し読めるものなので、ひとたび感銘を受けたと思っていても、また読み返したときにもっと深い、あるいは別の感銘を受ける可能性が常に残されています。前に読んだ時にはわからなかったことに気がつくためには、それを繰り返し読む必要があるのです。そして、繰り返し読むことによって「慣れ」は深められていきます。

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「読書に慣れる」というのはどういうことか

読書に慣れることで、繰り返し読むとそのたびに「さらに奥」を見せてくれる本が存在すると知ることになります。「読書に慣れる」ということそのものが、読書の深みを知るごとに深まっていきます。それは他人からは、知識や蘊蓄うんちくを増やしているだけに思われるかもしれないし、実際そうでしかないひともいるでしょう。

他人の目にどう映るかはさておいて、自分自身に「果たしてそれだけか」と問いかけたとき、それまでに読んできた文章の書き手たちが「読みとられないかもしれない」と思いつつ書き留めた言葉が自分に確かに響いてきた、自分が「語るべき人々」の資格を得て、言葉に「語り」かけられたと思えるかどうか。そしてその経験を繰り返してきたかということが、慣れを深めてきたかをはかる基準になります。