「仕事の専門性」を追求する石工が出てくる例え話も

興味深いことに、マネジメントの父と呼ばれるピーター・F・ドラッカーも類似のエピソードを紹介している。これは3人の石工の話である。

3人の石工が「何のために仕事をしているのか」と、質問される。1人目は暮らしのため、2人目は石切りとしての最高の仕事のため、そして3人目は教会を建てるため、と答える。

日本のネット上で流布されるレンガ職人の話と比べると微妙に内容が異なることがわかる。ドラッカーは、石工の話の出典を説明していない。しかし3人目については、目的は大聖堂と教会なので、ほぼ一致している。全体の話も類似している。レンガ職人と石工のもともとの情報源は同じものだと推測できる。

石工の話では、2人目は石切りとして最高の仕事をしているが、この内容はレンガ職人には出てこない。そうなると、レンガ職人と石工の話には4種類の仕事の意味が存在するのではないだろうか。

第1は「目の前のことだけをする」(1人目のレンガ職人)。
第2は「収入」(2人目のレンガ職人と1人目の石工)。
第3は「自己の成長と専門性の追求」(2人目の石工)。
第4は「全体性」(3人目のレンガ職人と3人目の石工)。

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「自己の成長と専門性」「全体性」が仕事の再定義に必要

やはり、ドラッカーも第4の仕事の意味である「全体性」については高く評価している。問題は第3の仕事の意味である「自己の成長と専門性の追求」だ。ドラッカーは専門性の重要性を認めながらも、それを単独で追求することには落とし穴があるという。自己満足に陥り、組織のニーズと乖離かいりし、貢献できなくなる可能性があるからだ。ドラッカーによれば、「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」の両方が結びつくことに意義があるという。

筆者としては、「目の前のことだけをする」は、ジョブ・クラフティングにも幸福感にもつながりにくいと思う。それに対して、「収入」「自己の成長と専門性の追求」「全体性」は3つとも幸福感につながる要素だろう。だから3つとも存在することが理想的だと考える。そのうえで、特に「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」の両方が結びつくことは、ジョブ・クラフティングの実現に必要だと考える。