さらなる偏見を生み出してしまう危険性がある

新宗教といっても、その実態はさまざまです。それなのに、新宗教が十把一からげに「被害を生み出す存在」として社会に再認識されてしまうこともあります(念のために断りを入れておきますが、これは「創価学会がなんら問題のない団体である」ということを主張するものではありません)。それは、看過かんかしてはならない事態だとぼくは考えています。

しかも、その影響は思わぬところに出ます。たとえば、それまで被害など意識したこともなかった宗教2世が、世間の偏見にさらされ、新たに被害を受けたり、生きづらさを抱えるようになったというケースが、少ないながらも発生しています。そこに、ぼくは葛藤を抱くのです。ぼく自身の「宗教2世にかんする語り」もまた、その流れを助長してしまう可能性をはらんでいるからです。

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宗教2世の被害は看過したくはない。だから、そこにクローズアップして声をあげたい。でも、そうすると、新たに生きづらさを抱く宗教2世が出てきてしまう。ぼくも、そこに加担してしまうかもしれない――こうした葛藤があるのです。

自死する友人もいれば、報道がきっかけで苦しむ友人も

宗教2世のなかには、被害に苦しみ、人生を台なしにされたと感じ、苦衷くちゅうのなかで孤独を味わっている人も多くいます。ひもじい思いをした人もいる。虐待を受けた人もいる。トラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えた人もいます。

ぼくの友人は、宗教2世としての経験を苦に、自死しました。ぼく自身も死にかけたし、長らくうつ病も経験しました。これが、現実です。この状況も、絶対に看過してはなりません。

一方で、創価学会ではない別の教団に所属する友人は、2022年来の宗教2世問題の影響で、まわりから「あいつ、○○(教団名)の信者らしいよ」と後ろ指をさされるようになって、悩んでいると語っていました。以前まで、そんなことはなかったのに……。おなじきっかけから、宗教をネタに学校でイジメにあいはじめた子もいます。これらは極端な例かもしれません。ですが、少なくとも新宗教のイメージはダウンしています。そこにイヤな思いを抱いている宗教2世もいます。

こういう側面をまったく無視して、宗教2世の被害を手放しで強調しつづけることは、ぼくの本意ではありません。このことを勘案かんあんしながら、ぼくは悩んでいます。が、やはりぼくとしては、結論的に「声をあげざるを得ない」と判断しました。そう判断したし、いうからには声を大にしていおうとも思いました。