残り9割の凡庸さ

だが残り9割は実に凡庸というか、粋も破廉恥さも「俺の/私の文章をどうにかして人に読ませてやりたい」というたくらみも圧倒的に足りない。大学入試の小論文的な文法がnoteのエントリやインスタ長文投稿に崩れたような、だがボリューム(字数)と序論・本論・結論の単純な運びだけはクリアした、映画やアイドルの退屈な感想文を出してくるのである。

すると、そういったものも優良可不可で成績をつけねばならないから、特別面白い1割は優をあげるにしても、凡庸な感想文にも「才能は感じないが、文章書きのルールは押さえている」との評価で良は出すことになる。

ChatGPTが書いた課題レポート

で、私が試しにChatGPTに、そんな大学授業の課題を書かせてみたら、「ああ、こういうのたくさん提出されてたなぁ」と既視感たっぷりのテキストを生成して返してきた。(詳細は画像1を参照)

写真=河崎環
【画像1】ChatGPTが生成したテキスト

「なぜ日本は韓国のボーイズバンドBTSのようなアイドルグループを生み出せないのか:芸術政策と経済的要因の比較」。1200字程度の小論文(エッセー)、特に深い考察や目新しい調査も要らず、この文字数なら“具体性”を追求できるボリュームでもないので、押さえておくべきキーワードを漠然とした関連性で並べ、「○○が問題となっている」と言いながら解決策を提示せずに「新たなビジネスモデルの模索が必要である」と結論する。

そうですね模索が必要ですよね、だから新たなビジネスモデルってどんなのか教えてよ、と思うわけであるが、小論文サイズなのでまあここまで書けば及第点かな、うまくもないし感心もしないけど、と、「ちゃんと忘れずに課題を提出したこと」をうっかり評価して「良」をあげてしまいかねない整いようだ。

これ、要はプロンプトを出す側が、あらかじめ「もし自分が書くなら」と、押さえておくべき用語、扱うべき論点、全体の論の運びと着地点が見えていて、それらを包括した適切なオーダーを出せるなら、かなりの満足度で仕上がってくるということなのだろう。

それから大事なのが、これがアカデミックライティングという定型であること。

ChatGPTは、定型をなぞるのはとても上手なのだ。定型を持たない小説や暮らしエッセーなどのクリエーティブライティングになってくるといまいち面白くないのは、やはり今すでに世の中に存在するものを材料としてしか生成できず、また人間社会に対してかすかでも危険や挑戦を突き付けず順応的であるように設計された「いい子」ゆえなのだろう。

自分の思考を受験勉強のような正解に近づけることや、なんならその正解を無思考に暗記することばかり繰り返してきたような思考力のない学生、オリジナルでない学生は正直その時点でChatGPTに勝てていない……。

先学期も親心から乱発した「良」の数をぼんやりと思い浮かべながら、そんなことを考えた。