「模倣の罠」にハマらない人はいない
この腎臓は健康だという「知識」が移植希望者にないのと同じ。裏づけになりそうな情報が自分のなかにあっても、社会から得られた情報と天秤に掛けてみる。それで何十人もの人が同一の行動をとっているのがわかれば、自分にない情報を彼らが持っていると短絡的に考えたくなるものだ。
しかし、一度始まった物まねの連鎖は危険で、非生産的でもある。連鎖がまたたく間に起こり、移植されるべき腎臓の廃棄のような大規模な過ちにつながることも少なくない。
この罠にはまらない人はいない。どれほど賢明な人でも、無縁ではいられないのだ。
チューリップ・バブルの教訓
スコットランド人ジャーナリストのチャールズ・マッケイが1841年に出版した『狂気とバブル なぜ人は集団になると愚行に走るのか』では、まさに物まねの連鎖が扱われている。
「人間は群れで考える」ものであり、「狂気には群れごと走るが、正気にはゆっくりと1人ずつ戻るしかない」とマッケイは主張する。その例にあげられるのが、有名な「チューリップ・バブル」だ。
1634年にオランダの上流階級のあいだで、珍しいチューリップの球根をコレクションすることが絶対視されるようになった。本質的には価値はまったくないのに、この花の「所有熱はまたたく間に、財産の多くない社会の中流階級や商人、商店主をもとらえた」という。
近年の研究によれば、バブルが最高潮に達した1635年には「球根の平均価格は同じ重さの金を上まわり、珍種の球根になると1個だけで現在の5万ドル以上の値段で飛ぶように取引された」。
やがて価格が伸び悩み、下落しはじめると「信頼は失われ、売り手も買い手も皆一様にパニックを起こした」とマッケイは書いている。
チューリップは大きな熱狂を呼んだが、そのあとにはさらに大きな不況が待っていた。政府は一時的心神喪失がはびこっていたことを認め、「今回の狂乱の渦中に結ばれた全契約は無効とされるべきである」と宣言したのだった。
バブルは弾けなければ、バブルと気づけない
ところが、今度はマッケイ自身が同じ罠にはまることになる。
彼の著書が出た数年後のこと、イギリスの新たな鉄道網の株式に投資家が群がりはじめた。安定した企業の配当利まわりが約4パーセントだった時代に、この株式は10パーセントの利まわりを見込まれていた。
チャールズ・ダーウィン、ジョン・スチュアート・ミル、ブロンテ姉妹など、当時を代表する知識人もそこに加わった。マッケイも加勢し、その鉄道網は総延長16万キロをはるかに超えると断言した。鉄道建設に雇われた男性は、最多だった1847年にはイギリス軍の約2倍に達した。