にもかかわらず皆が皆、やみくもにテントを出たがった。中からナイフでテント布を切り裂いてまで、大慌てで、そして我先にと、その場を離れたがった。統制のとれた理性的な行動をずっと続けてきた彼らだけに、あまりに奇妙で信じがたい。これほど激甚で無謀な行動を引き起こしたものは、いったい何だったというのか?

極寒の冬山で靴を履かず、服を脱ぎ捨てた理由

ディアトロフ事件最大の謎はここにある。このまったき不可解さに比べれば、彼らの死の様相についての説明には、納得しやすいものがいくつもある。たとえば誰ひとり靴を履いていなかったのは、単にその暇がなかったからだろう。

また服を脱ぎ捨てた者がいたことについてだが――史実をもとにした映画『八甲田山』(森谷司郎監督)に生々しく描かれているように――人は極度の低体温に陥ると、かえって暑く感じてしまうらしい。体表の冷たさに比して、体内に流れる血液の温度に熱さを覚えるせいだという。

火傷跡や木からの落下は、暖を取ろうと木の枝を折っていて落ち、その後マッチで枝を燃やしていて火がついたのかもしれない。別メンバーの服を着ていた例は、死者の服を脱がせた可能性がある。格闘跡の見られた2人は、テントの一番近くに倒れていた。つまり逃げるのが最後だったからで、そうとう焦ってぶつかりあい、互いにもつれあってこけつまろびつ走ったとも考えられる。

遠くまで逃げた者たちに打撲跡や肋骨ないし頭蓋骨骨折が見られたのは、斜面を走り下りている時に根株や雪に埋もれた岩などにぶつかったり、通常であれば大怪我には至らないような崖でも暗くて気づかず、頭から落ちたと考えられなくもない。全ては雪山の夜にひそむ危険であり、おまけにそこを走ったのは平常心を失くした人間たちだった。

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衣服に付いた放射能の謎

とはいえ全てが納得できるわけでもない。検死報告書には、彼らの骨折状態が崖から落ちてできるようなものとは明らかに違うと記されていた。舌の喪失は小動物に食べられたとの説もあるが、ではなぜ他の遺体(すぐ近くに3体あった)は無事だったのか。

衣服の放射能については、2年前に同じウラル山脈で放射能漏れ事故があり、その際に放射線を浴びた服が古着屋に売られ、知らずに買って着ていたのかもしれない(まだ物資の少ない貧しい時代だった)。しかし検出された放射能は高濃度だったというから、旅行中いつも雑魚寝していた仲間の服に付着していないのはなぜだろう。

ただの偶然かもしれないが、学生の1人は核物理学を専攻しており、原子力関連の研究室に在籍したこともある。ただし放射能が検出されたのは彼の服からではない。