「死刑須らく廃すべし 否廃すべからず」
114人はそれぞれ異なった生を生きて、窮極の「悪」である殺人を犯し被害者の生を断ち切った。かれらはそれゆえ国家の死刑制度によって死刑に処せられ、その生を奪われることになった。見てきたように田中は、仏教徒の教誨師として個々の死刑囚の生がぎゅっと凝縮された監獄の現場で、刑事政策からではなく、死刑囚に向き合い、伴走した。全身に補聴器を付けたように死刑囚の声に耳を傾け、対話し、諭し、迷い、憤り、悔やみ、惜しみ、苦しみ、あるいは突き放し、死刑の当否を、さらに制度の是非まで考えつづけた――。
『死刑囚の記録』『臨終心状』の二つの手記の「はじめに」に当たるところ(前者では「緒言」)で、田中は篤志の教誨師時代を含めて約20年、200人に及んだ死刑囚に向き合った体験と宗教者としての思索による結論を述べている。
田中は冒頭で言い切る。
「死刑須らく廃すべし 否廃すべからず」
死刑制度は当然、廃止すべきである、と断じてすぐに否定する。わかりにくい。しかし追いかけて「其(死刑廃すべからず)は社会に害毒を流すの大なるものなればなり」とつづけている。
田中にとって死刑の是非の判断のポイントは、個々の死刑囚についてくり返し主張してきた「社会に害毒を流す」かどうかだった。だから田中はこうつづける。「監獄の規律に従順なるものならば死刑を執行する必要なかるべし。如何となれば、監獄に永く拘禁し置かば社会に害毒を流すこと能わざればなり」。
時間をかければどんな死刑囚でも更生させられる
獄則に従順な死刑囚は、犯した罪を認め、反省し、悔い改めた死刑囚であり、そのような死刑囚なら長く監獄に留めて、じっくり教誨をすれば必ずや社会に「害毒を流す」ことのない人物になるからだ、というのが田中の信念だった。
逆に過ちを認めず、反省せず、悔い改めもしないままなら死刑はやむを得ないが、そんな死刑囚でも時間をかけてじっくり教誨すれば、やがては悔い改め、反省し、獄則に従うようになり、社会に「害毒を流さない」人になり、生き直せるのだという人間への信頼が、田中にはあった。
もちろん田中にも個々の死刑囚についてはいくらかの揺れや迷いはあったが、結論は「死刑は須らく廃止」であり、「否廃すべからず」というのは、時間をかけた教誨によって必ずや「害毒を流さない」人物になるから、結局「須らく廃すべし」という最初のテーゼへ返っていく。
田中のこの信念を支えていたのは、犯罪者も必ず生き直せる、という人への信頼であったろう。ややわかりにくいところもあるが、田中の結論をわたしはそう受け止めた。