「メッシはまだ子どもだ」
オシムがフォワードというポジションを語るとき必ず名前が挙がったのが、当時バルセロナに所属したメッシだった。池上は言う。
「メッシがドリブラーっていうふうに言われているけど、彼のドリブルがあるからこそ、彼のパスはすごく有効なんですよね。最後の最後、足を出すしかないような状況まで、彼はドリブルができるから、もらったほうは、ほんとにフリーでシュートが打てたりする。相手守備が警戒してメッシをマークに行った途端、ワン・ツーで抜けてしまう」
そのメッシに対し、オシムはもっと高い要求をしているようだった。
「メッシはまだ子どもだ。メッシがもう少しシャビやイニエスタみたいなことができる選手になれば、もっとすごくなれるはずなのに、彼は自分のやりたいようにやっている。それをシャビとかイニエスタがカバーしている。バルサはメッシのチームにしてはいけないのに」
オシムさんにはそんなふうに見えているのだ――言葉のひとつ一つに池上は懸命に耳を澄ませた。
ドリブルが上手いだけの選手はいらない
「サッカーにエゴイストは必要ない」
この言葉も何度聞いたかわからない。そのたびに、自分ひとりでドリブルしてしまう子どもたちの姿が目に浮かんだ。
「勝ち負けのあるメニューにすると、時折出現するのがエゴイストな子です。特にドリブルが上手い子はひとりで勝手に行ってしまう。自分さえよければいい、自分ひとりでやってしまうことは、サッカーではマイナスだと子どものころから理解してもらわなくてはいけません」
例えば4対4など少人数のミニゲーム。池上は子どもたちに「全員がパスを繋いでゴールしたら5点ね」などと声をかける。そのようなルールを設け、たとえドリブルの上手い子がひとりいて得点しても相手につながれてゴールされるとかなわない設定にする。5点というボーナスポイントでもって、パスを繋ぐ価値を子どもに理解させるのだ。
オシムは、ひとりよがりなプレーを好まなかった。
「日本人は、サッカーをしていないよ」
勝手にプレーするな、周りを活かせとジェフでは口酸っぱく言った。味方同士が互いにやろうとしていることをわかり合いながら、呼応、連動してゴールへ向かっていく。それがサッカーの本質であることを伝えた。