町田家のタブー

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つ要素がそろうと考えている。

町田さんの両親は“できちゃった婚”だった。母親は町田さんが生まれた後も、夜や土日の仕事を継続し、仕事中は自分の実家などに預け、小学校に上がると夜から翌朝まで一人で留守番をさせた。父親は長く仕事が続かず、稼ぎを飲み代やパチンコにつぎ込み、借金を繰り返す。両親ともに「短絡的」な人だったことは自明の理だ。

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また、2人は夜の仕事で多忙にしていたため、ほとんど仕事以外の人間関係は構築されていなかったと思われる。もしかしたら、仕事の人間関係さえも希薄だったかもしれない。小学生までの町田さんは、ひたすら孤独に留守番する生活を送っており、町田家が社会的に「孤立」した状況だったことは容易に想像がつく。

「振り返ると、無意識的に、家庭環境が良さそうな人に対しては、自分の家庭の話をしないようにしていました。周りやテレビなどで観る家庭と比べて、『自分の家庭は普通ではないのだろう』と、違いを感じていたからだと思います」

町田さんが“家庭環境が良さそうな人に、自分の家庭の話をしないようにする”のは、おそらく、驚かれたり、引かれたり、同情されたりすることが予想できたからだろう。その感覚は、「羞恥心」に似ている。

「それでも、母は母なりに、父は父なりに愛情はあったのだと思っています。ただ私にとっては、父の愛情は『無関心』のように見えていましたし、母が言う『愛情』は重くて、苦しくて、不自由で、『支配』のように感じていました。母の『愛情』を受け入れれば受け入れるほど、私が奪われるような感覚がありました。今、私は『愛情』とは、『相手を相手の形のままで受け入れること』だと思っています」

町田さんの父親は、町田さんを受け入れるどころか、幼い頃は無関心で、少し成長すると転職相談相手、大人になってからは金を無心する相手として自分の都合良く捉えてきた。母親に至っては、さんざん自分勝手に振る舞っておきながら、町田さんが思うようにならないと不機嫌をまき散らし、自分を棚に上げて容赦なく攻撃してきた。そこに愛情があったかどうかは甚だ疑問だ。

「親と縁を切れずにいた頃は、自分が大人になることも、恋愛も結婚も、子どもを持つことも、何一つ希望が持てずに生きていましたが、今は結婚して、これから子どもと過ごす日を夢見ています。夢や希望を持って生きることができるようになったこと。それが親との関係を絶って得たものでした」

結局、両家顔合わせができないまま、入籍だけを済ませた町田さんは、近々夫側の親族と夫婦の友人知人を招いて、結婚式を挙げる予定だ。

幼い頃から「子どもは家庭のために犠牲になって当たり前」と思わされてきた町田さんだが、今はそんな家庭から抜け出して、自分の価値観を否定されず、自分を搾取されず、尊重し合うことのできる人に囲まれて、「幸せ」だという。

「看護学生時代、実習でお産に立ち会ったことがあるのですが、同級生たちは口々に『感動したね!』と言っているのに、私は、『こんな世界に生まれてしまって本当に幸せなのかな?』と考えていました。そのときに私は、『自分は人生に失望している。みんなと違うのだな』と寂しく思いました。でも今は、友達からの出産の知らせを聞くたびにとてもうれしく感じています。あの頃と違い、生きていることに幸せを感じることができるようになったのだと思います」