「我慢してました」「みんなやられてたから」
「我慢してました」「だって、みんなやられてたから」「みんなで『初体験はジャニーさん』って笑って話してました」
合宿所と呼ばれる寮に男子小中高生が集められ、大人はジャニー氏ひとり。仲間が何かされているのが聞こえる、自分が何かされているのを仲間が聞いている。自分だけじゃないから、たいした事じゃない。その異常な空間で夜になると繰り返しやってくる虐待体験を、彼らはそういう形で納得し正当化しなければ、乗り越えることができなかったのだ。
そして、「ジャニーさんのオキニ」としてデビューさせてもらったという恩義と引き換えに、永遠に口をつぐむ。自分だけじゃない、みんな同じ目に遭っていたから、むしろあの頃のジャニーズ・ジュニアの仲間もジャニーさんも全員、秘密を共有した特別な絆や愛着のようなものすら感じて。
これらをまとめて、BBCのアザー氏は「まさにこれがグルーミングなんです」「ジャニー喜多川氏は、パワーバランスを利用して巧みな心理操作をする人」と厳しい口調で非難した。
「“愛”がある人だから、嫌なことをされたけど憎んではいない、むしろ感謝している」なんてのは、日本人にとって非常に心地いい、ウェットな情緒のあり方だ。とすれば、日本は社会ぐるみで「グルーミング」しがちな傾向を持つ国である、ともいえる。
「ジャニーズ事務所」の成り立ち
ジャニー喜多川氏の性加害疑惑は、マイケル・ジャクソンやジミー・サヴィルといった欧米のショービジネス界の有名人による性加害事件との類似性を指摘されている。有名人であるという立場を利用して数多くの未成年に性虐待を加え続けていたとされる彼らは、「小児性愛者(ペドフィリア)」という正確かつ容赦のない呼び名で糾弾された。だが、ジャニー氏を真正面からそう呼ぶ日本人はいない。
社会学者である周東美材氏の著書『「未熟さ」の系譜 宝塚からジャニーズまで』(新潮選書)によると、ジャニーズ事務所の初めての少年アイドルグループであった「ジャニーズ」が結成された母体は、少年野球チームだったという。
終戦直後に在日米国軍事援助顧問団(MAAGJ)の職員として働いていたジャニー喜多川氏が、当時の米軍住宅地区であったワシントン・ハイツに日本の少年たちを集め、野球指導を始めた。アメリカの文化の香りとともに紹介された野球は、あっという間に東京の少年たちの間に定着し、所属する少年たちは1000人以上となった。