江戸川乱歩も初対面で贔屓に

「ブランスウィック」の常連客の一人に江戸川乱歩がいた。

男たちが軍服を仕立て直して着ていた時代にあって、乱歩のお洒落は際立っていた。良質の純毛のチェック柄のジャケットを着用して、色は茶系で統一していたという。明宏は、かねてより『屋根裏の散歩者』『人間椅子』『陰獣』『押絵と旅する男』などの乱歩作品を愛読していた。

乱歩に紹介された刹那、明宏は自分が気に入られたことがわかった。

「ねえ先生、明智小五郎って、どんな人?」
「腕を切ったら青い血が出るような人だよ」
「まあ、なんて素敵なこと!」
「へえ、そんなことが君わかるの。面白い、じゃあ、君は切ったらどんな色の血が出るんだい?」
「ええ、七色の血がでますよ」
「おお、面白い、珍しいじゃないか。じゃ、切ってみようか。誰か包丁持ってこい!」

興がのった乱歩は、本当に切りかねなかった。

「およしなさいまし。切ったらそこから七色の虹が出て、お目がつぶれますよ」

明宏の当意即妙とういそくみょうの口舌に、眼疾を患っていた乱歩は、「両方ともつぶれちゃったら大変だ」

と冗談をいった。

「君、幾つだい?」
「はい、十六です」
「ほう、十六でその台詞かい。とんでもない面白い子だねえ」

それからの乱歩は、明宏を贔屓ひいきにした。

明宏には、芸術家たちをひき寄せる妖しい魅力があった。

フランス語で歌った「バラ色の人生」

三島は来店の都度、明宏を指名した。明宏も次第に心を開いていった。三島がブラックジョークでからかえば、明宏はウィットにとんだ生意気な言葉でやり返した。折ふし三島の哄笑が「ブランスウィック」の店内に響いた。

三島が来店したとき、歌を聴かせる機会があった。明宏は、二階からの三島の視線を感じながら、フランス語でシャンソンを歌った。曲目は、エディット・ピアフの「バラ色の人生」。明宏は、ピアフのレコードを繰り返し聴いて勉強していた。