未成年でも社会的制裁を受けるのが「日本の常識」

ご存じのように、日本の政治家は定期的に「政治とカネ」の問題が浮上をする。政治資金収支報告書をちょこちょこと誤魔化して、修正したんでごめんなさい、なんてやっている。また、パワハラやセクハラなどのスキャンダル、さらには行政を歪めるなどの疑惑もちょこちょこ飛び出る。

そういう「ルール破り」をした国会議員に対して、マスコミは「議員辞職せよ」「ルールを破ったのだから責任を取れ」とワーワー騒ぐが、それが実行されることはほとんどない。

ガーシー氏に対しては「さっさと除名処分だろ」と叫んでいるような人たちも、なぜかそこまで怒らない。むしろ、自民党の議員だからとか、野党にハメられたとか、ああだこうだといろいろな理屈をこねて「ルール破り」を必死で庇う。やっていることは同じ「ルール破り」なのに、自分が支持している政党や政治家の場合は、「嘘だ」「デタラメだ」「捏造ねつぞうだ」と擁護してウヤムヤにするくせに、ガーシー氏のルール破りには驚くほど不寛容なのだ。

国会議員の不祥事と似たようなことを一般人がやれば、全方向からフルボッコで叩かれて、社会的制裁を受けるだろう。スシローで醤油さしをペロペロした少年も顔と名前を晒されて、学校を退学に追い込まれた。未成年でさえみんなに迷惑をかければ、人生を棒に振らなくてはいけない、というのが「日本の常識」であるにもかかわらず、なぜ政治家だけは多少のルール破りが許されるのか。

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「民意」を言い訳に特権階級にしがみついている

ひとつの理由としては、「有権者から信託を受けた選ばれた特権階級」だからだ。

それを象徴するのが、「不逮捕特権」だ。国会議員には議会の会期中には逮捕されない。一般人にはあり得ない特権だが、これも「民意」を代弁する立場という建前があるからだ。

だから、不祥事を起こした国会議員はこのロジックを逆手に取って、議員辞職を頑なに拒む。自分を当選させてくれたのは、後援会やらの支援者たちのおかげなので、自分1人で勝手に進退を決められないと言って、「国会議員として職務を全うするのが、私の責任の取り方」などとワケのわからないことを言って、議員の立場にしがみつくのだ。

だが、今回のガーシー氏の場合、そういう議論はほとんどされていない。ガーシー氏に票を投じた約29万人の民意は「悪ふざけ」「あれに投票した人間の気が知れない」などの言葉であっさりと握り潰されている。これは国会という場所がわれわれ国民に対して「選挙なんて意味がないよ」と言っているに等しいのだ。

こんなことをやって、政治不信に拍車がかからないわけがないのだ。