感染症に対する危機管理がない

「感染症に対する危機管理が日本にはありません。国家安全保障であるという認識が、日本にはまったくないのですね。これに対して外国は感染症研究を国が積極的に進めてきました」

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「先進国クラブ」とも呼ばれるOECDが2021年に発表した「図表でみる医療2021」のなかの「医薬品開発への企業の支出と医療分野の研究への政府の予算2018年」を見ると、日本の「企業の医薬品の研究費は米国の5分の1に及ばず、政府の医薬品研究予算は米国の6%」という状況だ。特に感染症の分野でその傾向が顕著だと、松浦は指摘する。

さらに医療面に関するOECDの資料を見ると、CTとMRI(磁気共鳴画像)、それにPETという、超高額な画像診断装置の人口あたりの台数は日本が断トツで、2位のアメリカの約2倍となっている。

新型コロナウイルス感染症の拡大局面では入院できない人が続出したが、それでも人口あたりのベッド数も一番多い。一方で人口あたりの医師数はOECD加盟38カ国中、下から6番目で、「診療中に医師が十分な時間を割いたと評価する患者の割合」は、OECD諸国のなかで最低である。高額な医療機器や施設は充実していても、それを活かす専門家のマンパワーが不足しているのだ。

こうしたなか、大阪大学は新型コロナウイルス感染症の世界的大流行を踏まえ、総合大学の利点を活かして「オール阪大」で感染症対策を進めようと、2021年に感染症総合教育研究拠点を開設した。その拠点の設置理由を見ると「テレビやインターネットに氾濫する真偽不明の情報、軽視されていた感染症の基礎研究、感染症の流行に弱い医療体制など、日本が抱える課題が浮き彫り」になったとしている。

ワンヘルスの思想で立ち向かう

感染症は、何らかの病原体が体内に侵入して引き起こす病気のことである。カビや酵母などの真菌、アニサキスなどの寄生虫による病気もあるが、感染症の多くは細菌(バクテリア)、そしてウイルスによって引き起こされる。このうち細菌は光学顕微鏡でしか見えない小さな生物で、栄養があれば自分で分裂して増えていく。乳酸菌や納豆菌など、私たちの生活に役立つ細菌もあれば、サルモネラ、カンピロバクター、黄色ブドウ球菌など、食中毒のニュースでよく聞く菌もある。結核は、結核菌によって引き起こされる。

ウイルスは細菌よりもさらに小さく、電子顕微鏡を使わなければ見ることができない。しかもウイルスは単独では生きられず、ヒトや動植物を宿主とし、生きている細胞に入り込んで、つまり感染して宿主のシステムを利用し、自分のコピーを作らせて増えていく。治療法としては、細菌には抗菌薬や抗生物質が有効だ。これに対してウイルスは、抗生物質は効かない。ウイルスによる感染症の治療薬として、インフルエンザやHIVには治療薬が開発されたが、感染症を引き起こすウイルス全体で見れば、治療薬はまだまだ少ないのが実情だ。

しかもインフルエンザ治療薬として期待されたタミフルは、症状の持続時間を20時間ほど短縮する効果しかなかった。新型コロナウイルスのパンデミックもあり、ウイルス対策が重視される所以である。

これについて松浦は、ワンヘルスの思想を踏まえて反省する。ワンヘルスについて日本獣医師会は「人の健康、動物の健康、環境の保全のためには、三者の全てを欠かすことができないという認識に立ち、それぞれの関係者が“One for All,All for One”の考え方に基づいて緊密な協力関係を構築して活動し、課題の解決を図って行こうとする理念」とウェブサイトで説明している。「研究者はそれぞれ、ヒトに限定されたいくつかのウイルスを深く研究していますが、一方でほかのウイルスのことは、タイプが似ていてもよくわからないという人がほとんどなのです。みんな、自分の専門ばかりやっていて、たこつぼ状態なのです。『それではいけない』ということをみんな思っているのですが、なかなか変われないのですね」