また、スマホ育児は一方向なので、絵本の読み聞かせのような親子の双方向のコミュニケーションが存在しない。子供がスマホを見ている時間、親は自分の用事をしているだけだ。そうなると、子供にとっての世界は、スマホの画面だけに留まる。

こうしてみると、スマホ育児では、子供は現実感のない状態で、表面的な情報だけを押し付けられているにすぎないことがわかるだろう。これでは語彙だけでなく、国語力の中核とされる情緒力、想像力、論理的思考力、表現力が養われることは望むべくもない。

さらにいえば、スマホ育児をする親は、自身もスマホに割く時間が多い傾向にある。統計によれば、子育て世代の親の半分以上が1日3時間以上スマホを使用しているとしており、約7割が「子供と遊んでいる最中にスマホを操作している」と答えている。

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本来、子供の遊びとは双方向で行われ、たくさんの予期せぬことが起こる中で感覚が刺激され、心を豊かにしていくものだ。それが感情をグラデーション化して自分の内面をより深く見つめたり、他者と適切な関係性を築いたりする力となる。

しかしながら、スマホ育児はそれとは反対のものだ。家庭にいるのに、子供はスマホの世界で孤立し、ただディスプレイに映る画像を機械的に目で追いかけているだけだ。

こうした日常が、子供たちの国語力を奪っていることに、大人はもっと自覚的である必要があるだろう。

叱るタイプの親が子供を思考停止にさせる

また、家庭内での「会話の質」も、子供の国語力を伸ばすのに非常に重要だ。

親が厳しいスパルタタイプだったり、怒りっぽかったりして一方的な言い方をする家庭では、子供の国語力は脆弱ぜいじゃくになる傾向にあるといわれている。

たとえば、子供が汚れた手のまま食事をしていたとしよう。それを見た親が、こう言ったとする。

「なんで手を洗わないんだ! さっさと洗ってきなさい!」

子供は萎縮して手を洗いにいくことになる。これでは何かを言葉で考えることにはつながらない。

一方で、もし親がこんなふうに言ったとしたらどうか。

「あれ、手を洗っていないわね。お母さんも子供の時によく手を洗いなさいって言われたけど、あの時おばあちゃんは、どんな思いで言ってくれていたのかな?」

あるいはこう言う。

「昔話に出てくる人は、手を洗っていたのかな。でも、昔は石鹸なんてなかったよね。どうやって洗っていたんだと思う?」