学閥は会社組織における「出世のパスポート」

考えてもみてほしい。初対面の人間同士が、同じ学校に通ったということだけで、懐かしさを分かち合えるものだろうか? 仮に百歩譲って、ワセダの町並みやキャンパスの風景を思い出すことに多少の意味があるのだとしても、そんなことのために大の大人がわざわざ時間を割いて集まるものだろうか?

社員600人のA社は、全国に40以上の支店、営業部を展開しており、営業部の社員はその社員数に比べて数の多すぎる支店を、3年から5年に一度の頻度で渡り歩くことになっていた。と、社内の人間関係はどうしても希薄なものになる。3年に一度開かれる同期の研修を除けば、離れ離れの社員が一堂に集まる機会はないし、営業部内で形成された人脈も転勤を繰り返すうちにいつしかバラバラになってしまう。

こういう中でモノを言うのは、出身校を核とした絆である学閥だ。

そう、学閥は、入社年次や社内での転勤歴を超えて、時間的にも空間的にもグローバルな広がりを備えた理想的な情報網なのだ。

たとえば、本社の人事情報や各営業部内の噂話といった地方の一営業部にいたのでは手に入りにくい情報も、全国組織である稲門会なら簡単に集めることができる。出世のパスポートにもなる。なぜなら、学閥は利害が複雑にからむ会社員の人間関係に、最も単純な互恵的人脈を提供するからだ。

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社内的な人脈よりもシンプルで力を発揮しやすい

説明しよう。

サラリーマンの出世競争において、人脈が重要であることは言うまでもない。ところが、上司と部下の関係には確執や上下関係がつきものだし、同期の人脈には排他的な競争関係が介在している。であるから、同僚、同期、上司、部下といった純社内的な人間関係は、仲間のようでありながら敵でもあるわけで、なかなか一本化した同志的結合には結実しない。

ところが、学閥は、会社とは別の空間である「母校」を母体としているだけに、関係性がよりシンプルになる。また、「出身校が同じ」というだけの、比較的希薄な関係であるために、複雑な企業内の人間関係の中では、かえって力を発揮しやすいのである。

出世を考えた場合、たとえば部長クラスの管理職では、子飼いの部下の数が問題になる。平社員においては、どんな上司に可愛がられているかがポイントだ。ってことは、もし社内に多数派を占める学閥があるなら、その学閥に属している人間は、はじめから他の社員より有利な位置を占めていることになる。このあたりの構造は、自民党でモノを言っている派閥力学のありようとまったく同じだ。

結局、徒党を組んでコトを行う連中が組織内でデカい存在になっていくのである。早い話、同じ能力の社員が二人いて、どちらかが課長になるという場合、押し上げてくれる部下と引っ張り上げてくれる上司の数が多いワセダの人間は、はじめから有利なのだ。

おわかりいただけただろうか。

「おお、キミもワセダか」

という、一見無邪気な親近感の発露にしか見えない発言の裏には、生臭くも功利的な思惑がたっぷりとこめられているのだ。