とにかく早稲田出身者は数が多い
こうしてみると、稲門会の人脈はその同人にとってなんとも実りある交際ではないか。「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」である。なぜ頭を垂れるのかって? もちろん他人の足元を見るために、である。
学閥は、なによりも自派の利益を第一に考える。そして、他の派閥の影響力を殺ぐことに血道をあげる。
競争関係と言えば聞こえは良いが、学閥間の競争は、限られたポストの奪い合いに終始するネガティブな性質を帯びるのが常で、会社全体にとっては、ほとんどまったくプラスにならない。内戦が国力を疲弊させ、役所の省益追求が国益を損なうのと同じで、学閥は多くの場合、企業の体力を消耗させる。
それでも、ワセダの人間にとっては、稲門会の利益が自分の利益だったりするのである。なぜなら、まず何よりも人数の多い学校である早稲田の出身者は、このテの抗争に強い人々であるからだ。A社でも、早稲田出身者は、各期、各支店にまんべんなく散らばっており、人数的には常に社内の最大派閥であった。
なにしろ卒業生の数から言って、毎年、慶應の倍、東大の4倍の人数を輩出しているわけだから、自然と勢力は増える。で、ワセダ閥は現実に存在していて、過去に社内的にも問題になっていたのに、それでも、懲りもせずに学閥作りは行われていたわけだ。
まったく。
少数者の悲哀を語り合う「ほほえましい学閥」
同期の社員にY君という上智大学出身の男がいた。
ある日、私とY君が所属する大阪営業2課に、奈良支店の営業マンがやってきた。出張のついでに顔を出したというその40歳前後とおぼしきおじさんは、まっすぐにY君のところに来てこう言った。
「おお、キミがY君か」
きょとんとしているY君に向かって、そのおじさんは、にこにこしながらこう続けた。
「キミ、上智だろ? ボクもなんだ」
「いやあ、ウチに上智の社員が来るのは15年ぶりなんだ。つまり、ボク以来ってわけ。わかるか? 要するに、ウチの会社で上智出身者はボクとキミだけなんだよ」
というわけで、その夜、会社が引けた後、そのおじさんとY君は仲良く飲みに行った。彼らは、その夜、たぶん、少数者の悲哀について愚痴をこぼし合ったのではないかと思う。これを学閥と呼ぶのかどうかは、難しいところだ。なにしろ上智閥は小さいから。でも、愚痴をこぼす相手ぐらいにはなる。なかなかほほえましい学閥だと思う。
もし、あのおじさんが部長か何かになっていたら、Y君も課長ぐらいにはなっているかもしれない。
ワセダの連中はどうしているだろう。相変わらず都の西北とかを放歌高吟しているんだろうか。学校でもない場所で校歌を歌うっていうのは、人前で屁をするのと同じだと思うんだけどなあ。
「実るほど、校屁を垂れる 稲穂かな」か?
イヤな校風だよ、いずれにしても。ワセダ出身者は、不思議だ。一人一人を見ればそうイヤな人間ばかりというわけでもないのに、どういうわけなのか、ひとたび徒党を組むと、人数の二乗に比例して下品になる。まあ、どこの学校も同じなのかもしれませんが。
[初出:『人はなぜ学歴にこだわるのか。』(メディアワークス)]