組織における「犠牲」が出てしまう理由
組織における「犠牲」は、人員や経費の削減だけでなく、他にもたとえばブラック化は、その一例です。人手が不足して従業員の労働時間が長くなることなどは、よく耳にするのではないでしょうか。
また、(当連載で毎回取り上げている)組織におけるハラスメント、あるいは、そのハラスメント行為を適切に管理しないマネジメントの犠牲になる人たちもいます。
「犠牲」について気にしていないのは、前出の社長だけではありません。
自分に降りかかってこないなら、誰が、あるいは、何が犠牲になろうと気にしない人は、残念ながら組織に多く存在します。
私はハラスメントの行為者へのカウンセリングを行う専門家として、企業などの組織へ出向きますが、組織内でハラスメント行為に苦しんでいる人が、それを適切に管理しない組織にも悩んでいる様子を頻繁に目にします。
なぜ組織はハラスメント行為を適切に扱わないのか。どうしてそれを野放しにするのか。相談者の方が言われるように、「なぜパワハラで知られた人材が重要なポストに抜擢されるのか」という疑問は、多くの社会人が抱えています。
なぜそうしたことが起こるのでしょうか。
前出の社長が「犠牲」を気にしていないように、ハラスメント行為の管理に責任を持つべき人たちが、ハラスメントによる被害をまるで必要悪とでも思っているかのように、問題としてシリアスに捉えないのが、その理由の一つです。
ハラスメントを必要悪と捉える組織
何であれ犠牲を払うことができれば、目標の達成は容易になります。
たとえば、必要なときだけ雇用する、いつでも解雇できる、雇用を延長しなくてよい。こうしたことが自由にできれば、「売り上げが落ちているのに、雇用し続けなくてはならない」という状態よりもラクになります。
他の例を挙げれば、(これを「犠牲」と呼ぶのは語弊があるとは思いますが、)雨の日に傘をさしてバスに乗って駅に向かうよりも、いつでも車で駅まで送ってくれる家族がいるほうが、通勤もラクになります。
通勤だけでなく、自分の身の回りのことをこなしてくれる人がいれば、すべてを一人でするよりも、仕事に集中でき、成果を期待しやすくなるでしょう。組織内にあるハラスメント行為(それにより人に被害や負担が及ぶこと)も「犠牲」として、まるで誰かの目的・目標を達成するための必要悪のように捉えられていることは多いのです。