銀座クラブ業界における
戦略ストーリーのイノベーション

このように、おそめの凋落には多分に自滅の側面があるが、もう一つの大きな理由は、銀座に参入してきた新興勢力による水商売の戦略ストーリーのイノベーションである。昭和35年、京都におそめ会館ができたのとときを同じくして、銀座では「ラ・モール」という新しいクラブが開店した。ラ・モールは戦略ストーリーのイノベーションだった。経営母体は三好興産という企業である。社長の三好淳之は、戦後の混乱の中で財をなし、大阪近辺でレストランや、バーの経営に乗り出した人物だった。そこで稼いだ金を元手に、水商売の頂上である銀座で一番になりたいという野心を抱いて上京してきた。

おそめ
[著]石井妙子
(新潮社)

三好の構想したストーリーは、秀や川辺るみ子のような天才プレーヤーに依存しないで店を回していくというものであり、その意味でおそめやエスポワールとの差別化を明確に意図したものであった。エスポワールとおそめは表面的には対照的であり、銀座の中では相互に差別化された関係にあった。しかし一歩引いてみると、実は戦略ストーリーとしては似たり寄ったりで、基本的に同じ土俵で戦っていたといえる。スター性のあるマダム目当てに顧客を引きつけ、マダムが構築する世界観で顧客を囲い込む。秀とるみ子のキャラクターが対照的だっただけで、基本的にはおそめもエスポワールも同じストーリーであった。

ラ・モールが革新的だったのは、おそめやエスポワールのような「マダムが自分の才気と魅力をもって経営する」というやり方をとらず、花田美奈子という雇われマダムを立て、接客と経営を分離したことだった。天井からシャンデリアを吊るし、大理石の床には分厚い絨毯を敷きつめ、美人のホステスをそろえる。開店の挨拶状は、パリから花田美奈子の名前で出し、そこにはパリのクラブ「ムーラン・ルージュ」と姉妹契約を結んだ店であると書かれていた。

このやり方は、大型のクラブの経営には非常に有効だった。店が広ければ広いほど、マダム一人の魅力では客を集めるわけにいかないからである。これまでは暗黙の了解で禁止されていた女給の引き抜きも平然とやって、若く美しい女をそろえ、めいっぱい着飾らせた。店の主役はマダムではなく、ホステスたちにとってかわった。

ラ・モールはPRや顧客開拓にも力を入れた。意図的に「銀座一高い店」を謳う半面、店の格を上げてくれるような文壇関係者や著名な文化人からは規定の料金をとらず、優遇した。おそめやエスポワールでは小さくなっているしかなかった新人作家たちも、ラ・モールでは「先生、先生」ともちあげられた。

「指名制」をいちはやく取り入れたのもラ・モールだ。当時、エスポワールはチップを箱に集めて頭数で割って日給にしていた。おそめに至っては、チップを弾む客にばかり女給たちがサービスするのはよくないという秀の考えから、チップそのものを廃止し、月給制にしていた。それでも客がチップを払う場合は、頭数で単純に割っていた。ラ・モールは指名料というかたちで、特定の客から特定のホステスにお金の流れが生まれる仕組み最初から導入した。そうなると、店の客ではなくホステスの客ということになる。ホステスが従業員から半ば独立した事業者になる。ホステスは責任を持って、支払いを滞らせる客があれば自分で取り立てなくてはならなかった。いわゆる「売り上げ制」である。こうなるとホステスは必死になって、気前のいい男を呼んで、金をむしりとるようになる。

こうして、マダムのカリスマで客を引き寄せる時代は終わっていった。それは同時に、銀座が「女たちが細腕で切り盛りする世界から、企業をバックに男たちが利益を求めてしのぎを削る場へと変わった」ということでもあった。こうした戦略ストーリーのイノベーションが生まれる土壌をつくったのは、皮肉にもおそめとエスポワールの熾烈な競争が、銀座の夜の市場をそれだけ大きなものへと成長させたからであった。