そもそも精鋭部隊とはいえ、北極圏を拠点とする旅団を動員した点にも無理があったと言えよう。米フォーブス誌は、ウクライナ南部のケルソンへと送り込まれた、ロシアの第80歩兵旅団の例を報じている。
同旅団は通常、雪上戦を念頭に置いた戦闘訓練を受け、極地仕様の装甲車やスノーモービル、ときにはトナカイを使って移動する。しかし、ロシアの「甚大な損失と完全に崩壊した動員システム」のあおりを受けて穀倉地帯へと駆り出され、案の定後退を余儀なくされた。
精鋭兵と志願兵の混成部隊になる
昨年6月になると、混乱はさらに広がった。バレンツ・オブザーバー紙は、第200旅団が志願兵との混成部隊と化していると報じた。
志願兵は軍と短期契約を交わし、一般的なロシア国民の「数倍」の収入を得られるのだという。昨年3月からロシア国防省はネットに数多くの求人広告を掲載しており、45歳以上の国民を中心に多くの応募があったという。
しかし同紙は、「多くにとって、この契約は片道切符である」と指摘する。毎週多くのロシア兵が前線へと送り込まれているが、まともな戦闘訓練を受けていない者も多い。命を落とすリスクは、正規の軍人にも増して高いと言えよう。
志願兵を取り込み、立て直しを図った第200旅団も例に漏れず、大きな失態を演じたようだ。昨年6月上旬にハルキウ北部の村で同旅団と会敵したというウクライナ砲兵部隊の兵士は、ワシントン・ポスト紙にその経緯を証言している。
この兵士によると、ウクライナ側部隊の拠点がロシア側の砲撃を受けた。建物は一部崩壊などの被害を受けた。そこでウクライナ側部隊は数日間反撃を抑制し、小型ドローンによる偵察に徹することで、あえて弾薬不足を演じる作戦に出た。
第200旅団は何の疑いもなく、この作戦にかかったという。ウクライナ兵はワシントン・ポスト紙に対し、「攻撃がないので、やつらは安全に日光浴ができました」「野外でシャワーを浴び、防具やヘルメットなしに走り回っていました」と語る。
相手が油断しきった頃合いを見計らい、ウクライナ側は40分間の砲撃を行った。翌日の夜間にも追撃を加えると、第200旅団は「どこへ逃げるべきか分からない」ほど動揺したという。
旅団は負傷者を退避させるための車両も失った。ウクライナ側はこの攻撃で、およそ100人のロシア兵が死亡したと見積もっている。
「プーチンによる侵略計画の失敗を象徴している」
こうして旅団は多くの人員を失ったが、プーチン大統領が昨年9月に部分動員令を発したことで人員は補充された。だが、かつて精鋭部隊として知られた第200旅団は、有象無象の寄せ集めへと成り下がった。