大八木監督の涙と新たなる野望

大八木が監督退任を考えたのは田澤が3年生の時だった。「大学卒業後も大八木監督の指導を受けたい」という言葉を聞き、大八木は決断する。

「昨(2022)年の4月には今季限りでひとつの区切りにしようと決めました。4年生が春に『今季は駅伝3冠を取りたい』という目標を立てたので、俺も本気になってやることを彼らに誓ったんです」

監督退任を選手に告げたのは夏合宿の最終日だった。主将・山野力と副主将・円健介、それとエース田澤の3人を部屋に呼んで、今後の去就について話をしたという。そのとき大八木の瞳からは大粒の涙がこぼれた。

駅伝シーズンに入ると、「駅伝3冠」を目標に掲げた駒大はとにかく強かった。出雲と全日本を大会新で独走。最後の箱根に向けても、珍しく大八木は強気な言葉を発している。

「3番以内というのが口癖だったところもありますが、今季は選手たちが『3冠』という目標を立てていますから、全部取りに行かないと、選手たちに申し訳ない。昨年と比べたら選手層は厚いですし、選手の質も高い。今回は優勝を狙っていかなくちゃいけないなと思います」

しかし、大八木にとって最後となる箱根駅伝は厳しい状況が待っていた。12月初旬にエース田澤がコロナに感染。全日本8区で区間賞を獲得した花尾恭介(3年)も胃腸炎でダウンした。出雲と全日本で区間新の快走を見せた佐藤圭汰(1年)も腹痛で欠場を余儀なくされた。それでも駒大は魂の継走を見せる。

撮影=プレジデントオンライン編集部
1月2日のJR埼京線車両内

今回、王者の背中を追いかけ続けた中大・藤原正和駅伝監督は駒大の強さを肌で実感した。

「大八木さんの指示だと思うんですけど、最初は速めに入って、中盤は少し落とさせて、終盤また頑張るというスタイルで少しずつビハインドを築かれてしまった。1年間、『3冠』を目指してきた学校と、1年間、『3位以内』を目指してきた学校の差と言いますか、執念の差があったと思っています」

2区田澤でトップ争いに加わり、4区鈴木芽吹(3年)で首位に立った駒大。レースのキーである山の上りと下りを託した1年生コンビも快走して、復路はトップを悠々と駆け抜けた。そして大手町では大八木が選手たちの手で3度宙に舞った。

2日間の激戦を終えて、大八木は穏やかな表情をしていた。

「子どもたちは本当に素晴らしいプレゼントをくれましたよ。29年間、駒大でやってきて、箱根と全日本で4連覇できて、世界陸上に行き、オリンピックにも行けた。最後にやり残したことが3冠だったんです。これを達成できたので、大学の監督として、すべてやれたのかなと思います。もう恵まれすぎですね。選手たちに本当に感謝したいです」