常勝軍団を一から作った大学駅伝監督の指導術

大八木が母校・駒大のコーチに就任したのは1995年春。筆者も同時期に箱根駅伝出場を目指して東京農大に進学したが、当時は東農大の方が強かった。筆者がアンカーを務めた1996年の箱根駅伝は東農大が8位、駒大は12位。しかし、ここから駒大は急激に強くなっていく。

エース藤田敦史を擁して、わずか数年で低迷していたチームを学生駅伝の“主役”に押し上げたのだ。最初のタイトルは就任2年目の箱根駅伝(97年)。大八木は“狙い撃ち”での復路Vを果たす。そして就任3年目に出雲で学生駅伝初Vを飾ると、エース藤田が最上級生になった翌年度には出雲を連覇して、全日本大学駅伝で初優勝。箱根駅伝は9区の途中までトップを駆け抜けて、2位に入った。箱根は藤田が卒業した翌年の2000年に初優勝すると、2002~2005年には4連覇を達成。駒大は「平成の常勝軍団」と呼ばれるようなチームになった。

「初めの方は箱根のことで目いっぱいでしたね。とにかく箱根優勝の常連校にしたいと思ったんです。子どもたちは箱根を走りたい、箱根で優勝したい、という思いで入学しているので、それに応えないといけない。就任5年目で優勝しましたし、その後、4連覇もしました。その時期はもう本当に箱根、箱根という感じでしたが、そこから少しずつ変わっていったんです」

© KOMAZAWA UNIV. TRACK & FIELD

大八木は頑固一徹のイメージがあるが、柔軟な面も持ち合わせている。ひとつの「成功スタイル」に当てはめるのではなく、選手たちのカラーに合わせて、練習を組み替えてきた。

「当初はスピードのない選手が多かったこともあり、トラックというよりも、マラソンのことばかり考えていました。その後は、スピードのある選手も入ってきたので、選手の能力や性格などを判断しながらやってきたんです。選手の特性に合う育成の仕方があるので、そういうのが割とうまくやってこられたかなという感じはしますね」