米のモノカルチャーで飢饉が頻発

⑦士農工商より上級武士の権力独占が問題

適材適所でなく世襲が原則で、上級武士(馬に乗れて殿様に会える)とそれ以外が峻別されていた。福沢諭吉も中津藩で下級武士や庶民から上士に昇進したのは、300年で数例しかなかったとしている。

⑧北朝鮮なみに禿げ山だらけで環境先進国は嘘

ものを大事にしてリサイクルが発達したのは事実だが、物資不足の結果に過ぎず、いまの北朝鮮と同じだ。薪や炭を燃料にしたのでほとんどの山が禿げ山に近く、洪水が多かった。

⑨餓死者が続出し東日本では人口も停滞

鎖国のためトウモロコシ、芋類など新大陸原産の新しい作物導入が低調だったのと、米に偏った税制で極端な米のモノカルチャーになった。食料の流通も諸侯に任せたので、飢饉ききんが頻発し人口が停滞した。江戸時代中期と同時代の清国で、康熙帝こうきていなど賢帝が善政を敷き、経済も人口も伸びたのと対照的だった。

天明飢饉之図(写真=福島県会津美里町教育委員会所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons
⑩裁判や警察など司法の前近代性と切り捨て御免

司法制度が恣意しい的だった。火あぶり、磔、牛裂き、釜煎り、獄門、石子責めなどサドマゾ刑罰に拷問もやり放題。切腹はお家断絶回避を餌に無実を主張させない制度として使われた。切り捨て御免も伝説ではなくまれでもなかった。

明治批判の裏返しとしての無理な江戸賛美

それでは、なぜ誤った江戸時代賛美論がはやるのだろうか。まず挙げられるのは、関ヶ原以前からの日本人の美点なのに、江戸時代に始まった長所と誤解しがちな点だ。民度の高さは『魏志倭人伝』も指摘しているし、仮名をほとんどの人が使うとザビエルの報告にもある。

江戸時代の日本として19世紀前半(天保期から幕末)の状況を持ち出す一方、18世紀以前(フランス革命や産業革命以前)の欧米と比べる不思議な比較が多い。

明治体制を誹謗ひぼうし、成果を矮小化する目的で江戸時代を褒める傾向もある。戦後史観では明治賛美は御法度らしいから、成果を矮小化するため江戸時代に日本はすでにかなり近代化されていたと強弁しがちだ。

家康が再征をちらつかせて派遣させた、一種の朝貢使節である朝鮮通信使を、対等の関係の象徴と歪曲して持ち上げる一方、むしろ、近代国際法に基づく対等の外交を提案しながら大院君に拒否された明治政府の対応を高圧的だと批判したがる。