情報処理力が弱いと、物事を多面的に見ることができなくなります。私は、このダイバーシティの時代においては、ひとつの物事に対し多面的に答えを引き出せることが、頭のよさを測る物差しになると考えています。たとえば「コロナで一日○人の死者が出た」という情報にふれたら、「はたしてその死者数はインフルエンザと比べて多いのか、それとも少ないのか」「死亡者数全体は増えているのか、減っているのか」など、さまざまな角度から深掘りして考えることが大切です。しかし、スマホをだらだらいじっている人は、提示された情報を鵜呑みにするだけで終わってしまいます。
日本人の「シゾフレ化」を、スマホが加速させる
また、かねて私が懸念していた日本人の「シゾフレ化」を、スマホが加速させる危険性も感じています。人間の性格は大きくメランコ型(うつ病気質)とシゾフレ型(統合失調症気質)の2タイプにわかれます。心の世界の主役が他人であるか、自分であるかが両者の大きな違いです。自分が主役のメランコ型に対し、他人が主役のシゾフレ型は「主体性がなくなり人の意見に流されやすくなる」「濃い人間関係を回避する」という特徴があります。
スマホを使ってSNSを利用する人は多いと思いますが、そこでよく見られる、みんなが「いいね」と認めるものを優先するコミュニケーションは、いかにもシゾフレ的です。いつでも「みんなと同じ」であろうとするあまり、人間関係も「広く浅く」の形式的な付き合いに終始します。結果的に、SNS上でたくさんの「いいね」を集めても、本音を誰にも明かせない寂しさを抱えてしまう。特に象徴的なのが、インスタグラムです。投稿するのは明るい自分の写真に限られ、暗い自分など存在しないかのように誰もが振るまっています。
LINEも同様です。LINEは1対1の深いコミュニケーションをしようと思えばできる設計になっているにもかかわらず、実際には人に嫌われたくないという考えに支配されて、当たり障りのないコミュニケーションになりがちです。またLINEにおけるコミュニケーションによって、不安が増幅することも少なくありません。メッセージを読んだか否かが既読マークによって相手にも伝わるため、「すぐに返事をしなくては」と急き立てられ、ゆっくりと言葉を練る時間の余裕がありません。グループ間のLINEも、やはり他人の視線が気になり、他人に合わせようとする心理が強く働きます。
だからこそLINEは、みんなとつながっている安心感を得られやすいツールだともいえるのですが、この安心感は危ういものです。少しでも返事が遅れたり、既読スルーされようものなら、たちまち揺らいでしまう安心感なのですから。コミュニケーションは本来、人間どうしがわかりあい、安心を得るためのもの。しかしLINEはどれだけ続けても不安が消えることはありません。わずかな安心感を手放すまいとアプリを開く頻度が増え、スマホ依存が進行していくのです。