本来なら原子力規制委員会などで発電企業を規制するべき政府が、国民に責任を持って必要な規制をしなくてはならないのですが、それができておらず、世界の原子力関係者はそのことを知っていたということです。

政官と電力会社が手を組んで、世界水準から目を背けていたともいえるでしょう。責任ある立場の人たちが、日本の原発の安全性が世界基準にないことを知らなかったはずはありません。嘆かわしいことに、日本の原子力産業とその関係者たちに一切の国際性がありませんでした。あるいは「忖度そんたく」エリートだったのでしょうか。

原発事故を教訓にしたい世界、失敗から学ぼうとしない日本

事故後にアメリカ、フランス、スウェーデン、ベルギー、韓国、台湾など世界の原子力関係者が「なんでも協力する」と申し出てくれましたが、原子力ムラは聞く耳を持ちませんでした。あれだけの大事故が起きて世界中から注目され、「病巣」も確認され、改革案が提言されていてなお、そのままなのです。日本人としては恥ずかしい限りです。

私は国会事故調の委員長を務めた者として、この十余年、海外の原発や危機管理の関係者からの会見や懇談、講演の要請があれば、可能な限り受けてきました。何しろ2022年1月1日現在、世界の約30カ国で431基の原子力発電所があり、62基が建設中なのです。

日本のような経済先進国であり、科学に優れ、技術に優れ、工業技術も極めて優れている国で起きた原子力発電所の事故だったからこそ、世界は驚き、日本がどのような思考とプロセスで対処しようとしているのか注目しています。

世界は純粋にこの事故から学びたい、知識と知恵を共有したい、安全文化をつくりたい、福島第一原子力発電所事故からの回復に協力したいと考えています。日本の関係者が事故にできるだけふたをしておこうとするのとは対照的です。

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未曽有の大事故でも日本は変われない

アメリカ議会の下にあるGAO(会計検査院:Government Accountability Office)からは、2014年3月に「福島第一原発事故に学ぶ各国の原子力安全文化」という報告書が発表されています。翌4月には、IAEAでも、「原子力発電所の安全性と国民文化の重要性」というテーマで、3日間のワークショップが開催されました。これは、IAEAの歴史では初めての試みでした。

日本政治が専門のマサチューセッツ工科大学のリチャード・J・サミュエルズ教授は、2013年4月に米国で出版した『3.11:Disaster and Change in Japan(翻訳版は『3・11震災は日本を変えたのか』英治出版、2016年)』の中で、国会事故調の報告書を再三引用しながら、「これほどのひどい事故が起こっても、日本の民主制度も政治もさほど変化する様子が見えない。どれほどの大事故、大災害が起これば日本は変わるのだろうか……」と問いかけました。

イギリスの有力経済新聞「The Financial Times(フィナンシャルタイムズ)」東京支局長だったデイヴィッド・ピリング氏は、著書『日本-喪失と再起の物語 黒船、敗戦、そして3・11』(上下巻、ハヤカワ文庫、2017年)で、国会事故調の問題意識をしっかりとくみ取ってくれました。