旧統一教会のプロパガンダに使われかねない

確かに仏教でも「天」という言葉はある。だが、その場合、死後の「六道」世界のうちのひとつを指す。六道は迷いの世界。その最上位にある天道は「天人=神々の世界」であり、「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」などに比べては、苦が少ないとされる。しかし、神々にも争いなどはあり、いずれは死におびえる局面を迎える。それを「天人五衰」といい、三島由紀夫の絶筆『豊饒の海』に描かれている。

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したがって仏式の葬儀において、僧侶が法話の際に「天に逝かれました」は禁句である。先述のように「苦である六道を彷徨う」と同義になってしまうからだ。理屈っぽくなるが、あくまでも仏教では、六道輪廻を離れ(解脱し)、浄土に向かうことを目指している。

ある長野県在住の僧侶は指摘する。

「(キリスト教系を自称する)旧統一教会でも、死後世界を『天国』と表現しています。政府要人である菅さんが『安倍さんは天に召された』としてしまうと、旧統一教会のプロパガンダに使われかねない。つまり『安倍さんは旧統一教会側の人間であった』という、既成事実を与えてしまうことにもつながる。密葬が増上寺で行われたように安倍さんは浄土宗の檀家。なので、正確に『極楽浄土に往生された』とすべきでした。『天に召された』『天国の』などの弔辞は、安倍さんとしても本意ではないはず」

『広辞苑』(第四版)で「天国」を引いてみると、「神・天使などがいて清浄なものとされる天上の理想の世界。キリスト教では信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所をいう」などとある。確かに政治家が「天国」と決めつけてしまうと、特定の宗教を限定してしまうことにつながり、政教分離の観点からもあまり望ましいことではない。

参考までに、安倍氏銃撃後の毎日新聞では、このように報じている。

「安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した奈良市の近鉄大和西大寺駅前で12日、近くの西大寺の僧侶がお経を唱え、手を合わせた。午後2時過ぎ、松村隆誉長老ら6人の僧侶が現場を訪れ、一列に並んで読経。その後、極楽往生を願って銃撃現場に砂をまいた」(2022年7月13日付)