松下電器であっても怒鳴り込む

あるいは大阪で、パトカーのライトなどをつくっていた企業が、松下電器(現・パナソニック)の契約(調達)担当者から直接連絡がきて、別の熱処理メーカーを利用するように依頼(強要)され、仕方なく引き受けたところ、現場から「こんな焼きが甘い処理の部品を使ったら、モーターが壊れる」と報告があり、案の定、新しい製品は次々と故障した。ところが松下電器の担当者は、「オタクがつくった部品が壊れたのだから、修理費や補償は全部オタクが持て」と言ってきた。

経営者は松下電器に怒鳴り込んだ。「使えない熱処理業者を無理に押し込んできたのに、修理費をこちらで持てとは何事か。松下の下請け取引の不当性をマスコミに訴えるだけではなく、法的な措置をとる」と突き放した。

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本来、松下電器はそのようなことをする会社ではなかったので、工場の調達部門の責任者は生じた事態に驚き、担当者を呼び事情を聞いたところ、口利きの事実を認めた。結果、その担当者は他部門への配置転換となり、補修費その他はすべて松下が負担するという決着となった。このように完成品メーカーの調達係というのは、しばしば下請けを絞ることがあった。

しかし、きちっとした技術と技能がある会社は、他のネットワークをつくり、「乾いたタオルをまだ絞る」ような会社とは手を切ることができたのである。

また前述のように、1990年頃から積極的な中小企業は、バブル景気の真っ盛りであり、若者はもとより、中高年の採用も不可能な状態となっていた。結果、採用と仕事を求めて海外へと進出し始めていた。そのような企業は「かわいそうな」存在とはかけ離れたものだった。

加えて、工場の海外進出に関して、日本国内の空洞化という表現が飛び交ったが、それもまた事実に反したものだった。海外進出に積極的な企業は、国内でもまた積極的な企業活動をしていた。拠点あるいは根拠地(いわゆるマザー工場)としての国内の足場がしっかりしていない企業は、海外に展開するだけの力を持たないからである。ネットワークを形成できる企業は「軸」をしっかりと持っていなければならない。それは国内での企業活動でも同様である。

「理想」は現場にとって「無意味」である

理想を持つことは、たしかに精神的にも大切なことだが、しかし同時に「理論」や「理想」というものは、現実とは無関係なことが多いものだ。後述するが、それを語る者は「あるべき姿」という「理想」を語る。いわゆるコンサルタントなどは典型的だが、「理想の絵を描く」ことは、現場に対して無理(無意味)なことを語ることになる。

青木昌彦氏は『国際・学際研究 システムとしての日本企業』(ロナルド・ドーア氏との2人による編集。NTT出版、1995年12月)の「日本語版への序I」で次のように述べている。

たしかに、いかなる経済システムも、人口、技術、嗜好、資源などの環境パラメーター値が変化したり、また国際・国内における政治プロセスにおける力関係が変化すれば、それに応じて制度変化を遂げていくであろうし、そうでなければ、やがて生命力を失うであろう。

また、それぞれの経済システムは他のシステムから学習することによって、システムの自己革新を遂げていくことも出来るであろう。しかし、過去の歴史をさかのぼるまでもなく、最近の旧共産主義計画経済の市場経済への転移の過程を見てもわかるように、経済システムの変化は、その歴史的な進化過程を反映した「歴史経路依存的(Path Dependence)」という性格を色濃く持たざるをえないのである。