行先のない排水溝

また、これは限界分譲地にかぎらず、古いミニ開発の旧分譲地でしばしば見られるものとも聞くが、一見、側溝が備わっているように見えても、よく観察してみると、側溝があるのはあくまで分譲地内だけで、結局、その排水先がどこにも接続されているようすがなかったり、分譲地の外に垂れ流しになっていたりすることもある。

そして行政も、民間業者が開発した私有地(私道)内のこのような排水設備の現状を正確に把握していないことがある。

現在、下水道設備がない分譲地に建物を新築する場合は、合併処理浄化槽(生活雑排水とし尿を併せて処理する浄化槽)を設置したうえで、側溝があれば側溝に排出し、なければ排水は宅内浸透(敷地内の土壌に浸透させる方法)か、蒸発散装置を設置して対応している。

だが、管理不全の限界分譲地が増加していくと見込まれる今後は、たとえば建築確認申請を受理するさいなどに、側溝の管理状況をもう少し厳格に見きわめていく必要が出てくるかもしれない。

僕が限界分譲地に暮らすわけ

ここまで、僕がこれまで暮らした限界分譲地や、現在暮らしている分譲地を例にあげながら、その暮らしぶりや問題点を書き連ねてきた。

僕はもともと僻地の分譲地への移住を呼びかけるつもりはなく、あくまで自分の意志で限界分譲地での生活を選んだ人を読者に想定してブログを開設したのだが、それでも僕自身、消去法でしぶしぶこの住環境を選んでいるわけではもちろんない。

さんざんデメリットを書き連ねてきたが、一方で、限界分譲地で暮らすいちばんの魅力は、なによりその住環境を維持するにあたっての裁量の多くが、自分自身に委ねられている点にあることだとも思う。

5世帯しか住んでいないわが分譲地では、どの家の住民も、自宅周辺の私道の路肩の草刈りなどを、各戸の都合にあわせて自己判断でおこなっている。わが家の前にある公園跡の土地は所有者が存在せず、ほかに管理する者もいないので、現在はわが家が独断で雑木や雑草を伐採し、管理している。

僕は自治会や町内会をはじめとしたコミュニティを否定しないし、住民どうしの協働こそが住環境を維持するうえでもっとも重要なことだととらえている。分譲住宅地という土木工作物を個人単位の作業で維持することの困難さは、これまで見てきた限界分譲地の現状から、いやというほど思い知らされている。

粗末、不便でも充足感があった

その反面、道路や公園跡の整備や維持管理を、自分ができる範囲で、あくまで自己判断で、可能なかぎり工夫して進めていく作業には、すでに完成されて問題なく維持されている「既製品」の住宅地では味わえない満足感が、たしかにある。

それは「開拓」などとよべるほどたいそうなものではないけれど、広大な原野や山林ではなく「住宅地」で、比較的手軽にその充足感を味わえるのは、おそらく限界分譲地しかない。