さすがにこれは、他人の敷地の草刈りのような、住民側の「自己防衛」で正当化できる行為ではない。小屋所有者のモラルを疑うものであると言わざるをえないが、特にクレームが入ることもないためか、少なくとも筆者が知るかぎり、もう数年間にわたって小屋が建てられたまま現在に至っている。

筆者撮影
個人の小屋が建てられ、独占的に占有されている私道。(千葉県山武市板中新田)

当然、その小屋が存在することによって、小屋脇に残されたわずかな隙間を抜けて足を踏み入れるのがやっと、という区画が生じている。小屋によって進入路が塞がれた区画の登記簿を取得してみたが、その区画所有者は、昭和48年の分譲当初に所有権移転登記を行った県外在住者の名義のままであった。

筆者撮影
前面道路に小屋が建てられ占有されているため、利用困難となった区画。登記簿上の所有者は神奈川県川崎市在住である。

相続登記が行われているかもわからない。いずれにせよ現在の所有者は、自らの区画の前に不法な小屋が建築されていることもいまだ知らないままであろう。

吉川祐介『限界ニュータウン 荒廃する超郊外分譲地』(太郎次郎社エディタス)

こうした不正常な実態が続くことのリスクとしては、住環境を含めた景観の破壊、土地利用における「モラルハザード」の拡大などへの懸念のほか、所有者自身にとっても、手放したくとも手放せない不良資産と化してしまうことが挙げられる。

不法投棄場として利用されていたり、ましてや何者かによって占有されていたりする土地は不人気だ。とりわけ市場価格が低く、過剰供給が常態化している千葉県北東部の売地市場において、わざわざそんなワケありの土地を選ぶ理由がない。

購入者本人はまだ「自己責任」と言わざるをえない面もあるのかもしれないが、不本意に相続してしまった方にしてみれば、到底是認できる話ではないだろう。

放棄地が悪循環を生み出している

実需に基づいた「住宅用地」ではなく、投機商品であった限界分譲地では、もはや価格の回復の見込みもなくなった今では、地域社会とのしがらみもなければ、世間体も配慮することのない「不在地主」の放棄地が続出している。

そうした放棄地の増加は、地域社会にある種のモラルハザードを生み出す一方、再びその土地が市場に戻されて適切に使用される道をも閉ざしている。

土地の所有者にはそれぞれの思いはあるのかもしれないが、よほど合理的な理由でもない限り、利用するあてのない不動産を所有し続けることに対するリスクには、もう少し敏感であってもいい。これは昨今取り沙汰される空き家問題にも通じるものがあるはずだ。(続く)

筆者撮影
監視の不在は資産価値のさらなる下落や不適切な利用を招く元凶となる。
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