女性の体毛を否定することは、容姿差別と同じ

同社はさらに、もうひとつの慣例を改めた。従来カミソリやシェーバーの広告といえば、もうすでにツルツルに手入れされた地肌にさらにカミソリを当てるといった、商品の効果のよくわからない絵面が定番だった。

この傾向も、処理前の毛は映すべきでないという潜在意識の顕れだといえよう。ビリーのキャンペーン広告はこの慣習にも反旗を翻し、あえて産毛まみれの脚のクローズアップから入っている。

共同設立者のグーリー氏は、メトロ紙に寄稿し、毛が映り込むことすら許されない美容広告の現状を問題視している。

「あるブランドが、女性には体毛があるのだということすら認められなくなったなら、それはボディシェイミングの一種です。体毛があることを恥じろといっているようなものなのです」

ボディシェイミングとは、例えばふくよかな体型や薄い頭髪などを公然と揶揄するなど、近年その害悪性が厳しく指摘されるようになった行動のことだ。グーリー氏は、体毛のある女性を否定することはこうしたタブーにも相当するのだと例え、業界の慣習を変えようと試みている。

なお、日本ではカミソリなどを製造する貝印が、類似の姿勢を明確に打ち出している。同社は2020年夏に「ムダかどうかは、自分で決める。」キャンペーンを展開し、男女とも毛の有無は個人が選ぶことができるとの価値観を提示した。同社調査によると日本でも、「気分によって毛を剃っても剃らなくても良い」と考える人々は80.5%にのぼるという。

フェミニズムとしての「剃らない宣言」

体毛を自然にしておく理由はさまざまだ。ニューヨーク・タイムズ紙は2015年、フェミニズムの立場からわき毛をあえて剃らない人々が出ていると報じている。

フェミニズムは、女性が男性と平等な権利を持てる状態を目指す運動だ。日本語の「フェミニズム」には女性に特別優しく対応するというニュアンスを時として含むが、英語の「フェミニズム」にはその意味はない。ここでは、男性が脇を剃るか否かを選べるのであれば、女性もそうであるべきとの視点が主張のポイントになっている。

トロント・サン紙は、レディー・ガガがフェミニズムの象徴として、わき毛を剃らずにむしろ染め上げて目立たせた一件を取り上げている。これが発端となり、ほかの一部女性たちにもわき毛の染色が広まっているようだ。ニューヨーク・タイムズ紙は、わき毛の染色サービスを提供しているヘアサロンがトロントにあると紹介している。

ただし、体毛を自然のままにしておくことを選んだ人々のすべてが、このような鮮烈なメッセージを放ちたいわけではないようだ。単純に手入れに手間がかかることから手入れの価値を見出せなくなったというセレブたちもおり、彼女たちはわき毛を生やしておくだけで政治的メッセージを発信していると勘違いされ、当惑しているという。