「自分の人生は自分のもの」ではない

個人主義の弊害も、子どもの問題を考える上でとても重要です。

戦後の日本の強い傾向で、いわゆる個人主義が広がった。「自分の人生は自分のものである」という考えが蔓延しました。

もしかするとこの文章をお読みのみなさんも、「自分の人生は自分のものである」と考えているかもしれないし、それで何が悪いのかと思うかもしれない。ですが、この考え方は子どもの自殺と大いに関係があると僕は思うのです。「なぜ、死んではいけないんですか?」と質問する子どもは、暗黙のうちに、自分の人生は自分のものなんだから、自分の体をどうしようと勝手だろうと考えています。

これはとんでもないことです。自分の人生は自分のものなんかでは、まったくない。もちろん、自分の人生は他人のものでも国家のものでもありませんが、自分ひとりのものであるという考え方からは、生きる意味なんて出てこないのです。

人生の意味は外部にある

これは『バカの壁』(新潮新書)でも触れたことですが、V・E・フランクルというアウシュビッツ強制収容所に収容された体験を持つ心理学者は、「意味は外部にある」という言葉を残しています。わかりやすく言えば、「人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる」(前掲書より)ということです。

つまり、周囲の人や社会との関係がないところから、生きている意味は生まれてこないとフランクルは言うわけですが、個人主義の広がりによって、農村共同体やその代替物だった会社という共同体すら崩壊してしまった現代の日本では、生きる意味を見いだすことがとても難しくなっています。

写真=iStock.com/recep-bg
※写真はイメージです

いや、会社という共同体は存続しているじゃないかと言う人がいるかもしれない。しかし、本物の共同体はメンバーの首を切ったりはしません。リストラなんてするはずがない。ワークシェアをせずに平然とリストラをする日本企業は、もはや共同体とは呼べないのです。

現代の子どもたちは、共同体が崩壊してしまった社会の中で、生きる意味を見失ってしまっている。共同体には共通の目的が必要で、以前であれば「食べていくこと」だった。農作業は皆で協力してやらないとできなかったことが、いま機械を使えば一人でできてしまう。だから、共同体を再生することは――挑戦している人はいますけれど――とても難しいことだと僕は思います。